弥彦神社(越後一ノ宮)

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概要・歴史・観光・見所
弥彦神社概要: 弥彦神社の創建は不詳ですが古くから越後一ノ宮として広く信仰を集めた古社です。祭神の天香山命は、当初は「伊夜比古神」と称し越後国を開発し、漁業、製塩、農耕、酒造などの技術を人々伝えたとされ、その遺徳を偲び弥彦山の山頂に祀られるようになり、和銅4年(711)に社殿が造営されたと伝えられています。天香山命は天照大御神の御曾孫で尾張国造家の祖神であることから大屋彦命や大彦命を祀っているとも推察されますが、社伝では天香山命は神武東征で大功があり越後開拓の命を受けたとされ、基本的に天香山命と伊夜比古神は同一視されています。格式も高く「続日本後紀」によると天長10年(833)に名神に預かり、「続日本紀」によると承和9年(842)に従五位下、「日本三代実録」によると貞観3年(861)に従四位下に列し、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている越後国54社の中で唯一弥彦神社だけが名神大神の格式を持ちます。ただし、越後一ノ宮は諸説あり、越後国府の近くに鎮座した居多神社新潟県上越市)と、新潟県糸魚川市一の宮に鎮座する天津神社がそれぞれ一宮を主張しています。日本最古の万葉集(7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂)にも弥彦神社を詠んだと思われる歌が2首(「伊夜比古おのれ神さび 青雲のたなびく日すら 小雨そぼ降る」、「伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら」)あり中央にも弥彦神社の名声が広がっていたと思われます。

中世に入ると弥彦神社は歴代の領主や権力者の崇敬を受け、鎌倉幕府初代将軍源頼朝から社領3千貫の寄進があり、境内地がある弥彦荘の領主で幕府の御家人だった小国氏や池氏、黒滝氏は弥彦神社の神職にも名を連ねました。建武2年(1335)には後醍醐天皇の勅額が奉納されるなど篤い庇護を受け、室町時代の弥彦神社は広大な社領以外に蒲原郡内の港津の津料徴収権を持ち経済的にも発展しました。しかし、その権益を巡り越後国守護職の上杉家と対立、境内の前には弥彦城(桔梗城)が築かれ、弥彦山の左右うには小国氏の居城である天神山城や、池氏(山岸氏)の拠る黒瀧城などが配されましたが、上杉房定は小国氏や池氏(山岸氏)などを支配下に入れ、弥彦神社も次第に厳しく統制される事になります。戦国時代には春日山城(新潟県上越市)の城主上杉謙信(輝虎)が崇敬し関東、信州、越中侵攻の際に戦勝祈願の願文を奉納、特に武田信玄との川中島の戦いの際には有名な「武田晴信悪行之事」と記された願文が奉納され謙信(輝虎)の正当性を主張しています。

江戸時代に入ると高田藩(新潟県上越市・藩庁:高田城)の藩主松平忠輝(徳川家康6男)が社領5百石を安堵し、長岡藩領になっても引き続き庇護され、元禄7年(1694)には長岡藩(新潟県長岡市・藩庁:長岡城)3代藩主牧野忠辰が五所宮(現在の十柱神社)を造営し、門前町(北陸街道の宿場町でもある)も神域として認めた為、大きな収入源となっています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により弥彦神社として独立、明治4年(1871)には国幣中社に列し、明治11年(1878)には明治天皇北陸御巡幸の際は参拝に訪れています。

明治45年(1912)、弥彦神社の門前町から出た火災に類焼し多くの社殿が焼失し、大正5年(1916)に新潟県が社殿の設計を東京帝国大学教授伊東忠太工学博士に依頼し再建されています。その際造営された社殿群(建築物・構造物25件:本殿、本殿と幣殿の渡り石廊下、本殿周囲透塀、幣殿、祝詞舎、拝殿、神饌所、伺候所、草薙神社、今山神社、乙子神社、狛犬、舞殿、楽舎、参集殿、斎館、神木石棚、二之鳥居、手水舎、神符授与所、絵馬殿、一の鳥居、制札台、石橋、鼓楼)は比較的新しい建物ですが、近代神社建築の規範になるものとして平成10年(1998)に国登録有形文化財に登録されています。社宝も多く源義家や源義経、上杉謙信等の武具が伝わり中でも志田大太刀(応永22年志田三郎定重が奉納、刃渡2.2m)と大鉄鉢(嘉暦元年相次郎孝基が奉納、高さ34.5cm、口径59cm)は国指定重要文化財に指定されています。例祭である燈籠神事(国指定無形民俗文化財)は古式に則って行われる神聖なもので周辺の集落から神輿が渡御し、県内各地から大灯籠、小燈籠が奉納され、一社伝来の秘舞と伝わる舞楽(神歌楽・天犬舞・太々神楽・小神楽:国指定無形民俗文化財)が厳かに舞われます。

弥彦神社の御祭神
 ・ 天香山命(伊夜比古大神)

弥彦神社の御利益
 ・ 家内安全・商売繁昌・交通安全・厄除け・工事安全

弥彦神社の文化財
 ・ 十柱神社(弥彦神社境内社)−元禄7年−国指定重要文化財
 ・ 志田大太刀−応永22年−国指定重要文化財
 ・ 鉄仏餉鉢−嘉暦元年−高さ39cm、口径54.4cm−国指定重要文化財
 ・ 弥彦神社燈篭おし(燈籠神事)と舞楽−7月25日奉納−国指定無形民俗文化財
 ・ 双鶴巴文鏡−室町時代−国認定重要美術品
 ・ 砧青磁袴腰大香炉−南宋時代−高さ15cm、口径20cm−新潟県指定文化財
 ・ 大太刀−室町時代−長さ220.4cm、反り9.4cm−新潟県指定文化財
 ・ 鏡鞍附壷鐙−鎌倉時代−八幡太郎源義家奉納−新潟県指定文化財
 ・ 上杉輝虎祈願文−永禄7年−出兵理由と戦勝祈願−新潟県指定文化財
 ・ 弥彦神社文書(1235点)−鎌倉時代〜江戸時代−新潟県指定文化財
 ・ 弥彦神社の社殿(25件)−大正5年−国登録有形文化財

弥彦神社
弥彦神社:一の鳥居
[ 付近地図: 新潟県弥彦村 ]・[ 弥彦村:歴史・観光・見所 ]
弥彦神社:御手洗川 弥彦神社:御手洗川 弥彦神社:玉ノ橋 弥彦神社:石橋
弥彦神社:二の鳥居 弥彦神社:随神門 弥彦神社:参道 弥彦神社:拝殿正面
弥彦神社:拝殿斜面 弥彦神社:神楽殿 弥彦神社:境内社 弥彦神社:鐘楼
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