浦佐宿

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浦佐宿:略データ
・場 所・新潟県南魚沼市浦佐
・概 要・浦佐宿は大同2年に坂上田村麻呂が毘沙門天像を勧請し、国家鎮護の祈願所として開創された浦佐毘沙門堂(普光寺)の門前町として発展しました。

応永28年には浦佐毘沙門堂介護の山に大関氏によって浦佐城が築かれた事からその城下町として整備されたと思われます。

その後、大関氏は上田長尾氏に従うようになり、天正6年に上杉謙信の死去後に御館の乱が発生すると、当時の当主である大関親憲は上田長尾氏出身の上杉景勝方に与し、功績を挙げています。

その後に発生した新発田重家の乱でも功績を挙げ、天正14年に景勝の命により、名門水原家の名跡を継いで、越後水原に居を遷しています。

浦佐城には清水左衛門が配されましたが、慶長3年に上杉景勝の会津移封に従った為、当地を離れています。

浦佐城は程なく廃城になったと思われますが、江戸時代初期に正式に三国街道が開削されると、その宿場町として整備されています。

浦佐は魚野川舟運の拠点でもあり、南魚沼郡誌によると寛永14年の記録で浦佐には胴高船50艘があったと記しています。

胴高船50艘は他の川湊と比べても多く、当地が物資の集積地として栄えていた事が窺えます。

本陣は代々坂西家が歴任し、当主が交替する際には、浦佐裸押し合い祭りで利用する「ささら」を奉納する仕来りになっていたそうです。

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