川口宿

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川口宿:略データ
・場 所・新潟県長岡市東川口
・概 要・川口の地は信濃川と魚沼川が合流する交通の要衝で、集落外れに鎮座している川合神社は雄略天皇22年に開創したと伝わる、延喜式神名帳に式内社として記載されている事から古くから開けていたと思われます。

又、川口から魚沼川の少し上流にあたる和南津は「古事記」で垂仁天皇の勅命により山辺之大タカが鵠を捕らえた地である「和那美の水門」と目されています。

慶長年間には堀直寄が藩主を務める板戸藩に属し、既に宿駅の機能を有していたとされます。

江戸時代に入ると高田藩領に組み込まれ、慶安2年に正式に三国街道が開削されると宿場町として整備、高田藩以降は、天領や糸魚川藩に属しています。

当地の実力者である中林家は川口組の大肝煎や川口村の名主を務める一方、川口宿の本陣職を担いました。

中林家は地域の開発にも尽力し、正保4年には中林庄之助が中新田を、元禄7年には中林太庄之助が中新田を、元禄7年には中林太左衛門が中林新田を開いています。

川口宿は大凡30軒程の家屋があり、本陣は中林家、脇本陣は宝積寺、問屋と馬指はそれぞれ1軒、正式な宿泊所である旅籠は認められていませんでした。

三国街道は長岡城下から川口宿までは信濃川右岸を通り、川口宿の上流にあたる和南津で魚沼川を渡って三国峠に向かう為、参勤交代で三国街道を利用する大名は川口宿で、宿泊する例が多く、中林家では長岡藩牧野家や、村上藩内藤家新発田藩溝口家等の諸大名や、新潟や佐渡奉行、遊行上人等、身分の高井人物が宿所や休息所として利用し、享和3年には第4次伊能忠敬測量の宿泊地となっています。

又、魚沼川舟運の拠点でもあり、上流から各地の特産物、下流からは日本海で採れた海産物や塩等が集積され大いに賑わっています。

中林家は昭和初期まで、式台付の玄関や上段の間を備える大きな屋敷があり、現在でも御本陣入口の遺構(桝形の石垣)が残され、貴重な事から長岡市指定史跡に指定されています。

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