関川村: 渡辺家住宅

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概要・歴史・観光・見所
渡辺家住宅(関川村)概要: 渡辺家住宅は米沢城下(山形県米沢市)と新発田城下新潟県新発田市)を結ぶ米沢街道沿いに文化14年(1817)に建てられた建物で木造平屋建(一部2階建)、切妻、木羽葺石置屋根(屋根には約1万5千個の石が置かれ、石置屋根建築として日本最大級、下屋部分は瓦葺き)、撞木造り(平面的にT字)、平入、桁行35.1m、梁間17.8m、約500坪、主屋には街道から直接入れる玄関と棟門から中庭を通って入れる玄関とがあり格式を感じます。正面中央部には式台付の玄関があり向って左側に二之間、大座敷が配され、大座敷は北側と西側が大きく開放出来庭園を取り込むように計画されています。玄関から右側には通り土間が配され建物最奥の作業場まで土間が続き、通り土間に沿って畳敷き広間や茶の間、板敷の中茶の間、台所など生活空間となっています。部屋数は40部屋を数え最盛期には約70人が生活していたとされ利用する人の身分によって床の高さや仕上げの格差、銘木を利用するなど分けられています。

渡辺家は村上藩新潟県村上市:本城−村上城)の藩主松平直矩の家臣として郡奉行を勤めた家柄で、寛文7年(1667)直矩が姫路藩(兵庫県姫路市)に移封になると当地に土着し帰農しました。その後は当地域の大庄屋を歴任し、さらに廻船問屋、酒造業で力を蓄え長岡藩新潟県長岡市:本城−長岡城)の藩主牧野家や米沢藩の藩主上杉家などにも年貢米を貸し付けるなど豪商へと発展します。江戸時代中期になると特に米沢藩との関係を深め、幕末まで十万両以上用立てたとされ、7代三左衛門は藩の勘定奉行格という破格に待遇を受け広大な新田開発や植林なども力を入れ大地主となりました。渡辺家住宅(主屋・宝蔵・新土蔵・米蔵・味噌蔵・金蔵・裏土蔵)は国指定重要文化財に指定されています。

渡辺家住宅の文化財
・ 主屋-文化14年-木造平屋、切妻、木羽葺、妻入、桁行35.1m、梁間17.8m
・ 宝蔵-明治時代-土造2階建、切妻、桟瓦葺、桁行9.2m、梁間5.1m
・ 新土蔵-江戸末期-土造2階建、切妻、桟瓦葺、桁行9.2m、梁間5.1m
・ 米蔵-天明3年-土造2階建、切妻、鉄板葺
・ 味噌蔵-天明8年-土造2階建、切妻、鉄板葺
・ 金蔵-江戸時代後期-土造2階建、切妻、桟瓦葺
・ 裏土蔵-明治30年-土造2階建、切妻、桟瓦葺
・ 庭園-江戸時代中期-遠州流廻遊式庭園、1275u−国指定名勝
・ 渡辺家文書(2万数千点)−主に米沢藩の借財−関川村指定文化財

渡辺家住宅:写真

渡辺家住宅
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