見附市(歴史)概要: 見附市には奈良時代創建の椿沢寺や平安時代創建の不動院があり古くから開けていた地域でした。中世は上杉氏の支配となり、要衝だった三条城と栃尾城を結ぶ街道上にある拠点として重視され、見附城には三条長尾氏の家臣丸田右京之助が配されました。
上杉謙信が死去すると養子である景虎と景勝の跡継ぎ争いが激化し領内を2分する"御館の乱"が起こります。丸田氏は景虎側に組し見附城に立てこもり交戦しますが景勝勢によって城を落とされます。
江戸時代に入ると村松藩に属し、刈谷田川舟運の最終河港として多くの物資が運びこまれ商家町として発展します。
又、江戸時代後期の文政年間(1818〜1830年)に村松藩(藩庁:村松城)9代藩主堀直央によって"見附結城"が奨励されると飛躍的に発展し全国的に知られるようになりました。
戊辰戦争では激戦地の1つとなり八丁沖を渡った長岡藩家老河井継之助率いる一隊が見事奇襲に成功し長岡城を奪回しています。
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