五泉八幡宮(五泉市)概要: 五泉八幡宮の創建は元慶3年(879)に勧請されたのが始まりと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている小布勢神社だったとも云われ、これが事実であれば古くから格式の高い神社として認識されていた事になります。当初は宮腰という地に遷座していましたが、慶安2年(1649)に現在地に遷座し社殿が造営されました。
境内は永徳2年(1382)に長尾憲願によって築かれた五泉城の跡地で天正11年(1583)には上杉景勝の重臣甘粕景継が2万石が与えられ城主となっています。甘粕家は上田庄坂戸城(南魚沼市)の時代から景勝に従い、上杉謙信の跡目争いである「御館の乱」の際は春日山城(上越市)で景勝を助け、慶長3年(1598)に景勝が会津黒川城(福島県会津若松市)に移封になった際は白石城(宮城県白石市)の城主となっています。その後、五泉城は廃城になったとされ、江戸時代に入り八幡宮の境内へと整備され、当然あったであろう土塁や堀の跡などは完全に消失しています。
合祀されている白山神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社宇都良波志神社の論社で当初は白山川の川辺に鎮座していましたが江戸時代中期の宝暦9年(1759)に八幡宮近くに遷座し明治7年(1874)に五泉八幡宮の合殿となっています。
五泉八幡宮境内にある大江廣海歌碑は明治時代に建立されたもので文政13年(1830)、廣海が詠んだ「桜さく 花の下蔭 分けくれて 逢う人稀に 成りにけるかな」の歌が刻み込まれ、昭和45年(1970年)に五泉市指定有形文化財に指定されています。
五泉八幡宮拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入、間口3間、奥行き4間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造板張り、三方高欄、脇障子付。祭神は誉田和気命、気長足姫命、田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命。
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五泉八幡宮:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 越佐の神社 式内社六十三-株式会社 新潟日報事業社
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