長岡市: 蒼柴神社

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概要・歴史・観光・見所
蒼柴神社(長岡市)概要: 蒼柴神社の創建は享保7年(1722)に長岡藩中興の祖とされる牧野忠辰(文治政治を推進、長岡藩三名君)が死去すると養子として跡を継いだ牧野忠寿が長岡城の東隅に社殿を建て忠辰の神霊を勧請したのが始まりとされます。忠辰は神道に通じ享保18年(1733)には京都の吉田管領家から蒼柴明神の神号を贈られ、さらに、50回忌にあたる明和8年(1771)に大明神に昇格、これを機に蒼柴神社の大造営の機運が高まり、天明元年(1781)、9代藩主牧野忠精は、現在地(悠久山、当時の三官山)に遷座し日光東照宮(栃木県日光市)を模してた権現造りの壮麗な社殿が造営されました。以来、蒼柴神社は歴代藩主牧野家から崇敬庇護され、例祭には藩主自ら参拝に訪れ、公務の際は藩主名代が代わって代参しました。又、社殿の造営や境内の警備、例祭の費用などが長岡藩の藩費で賄われ、それを運行する役職が設置され藩にとっても特別視される神社でした。蒼柴神社は創建当初から神仏習合し「蒼柴大明神」と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され「蒼柴神社」に社号が改められ、明治6年(1873)に村社、昭和5年(1930)に県社に列し、明治41年(1908)幣餞料供進神社に指定されています。

蒼柴神社の社宝である「扶桑書集」は享和元年〜文化13年(1801〜1816年)、9代藩主牧野忠精が幕政に携わり老中だった際、将軍家へ各国の大名が新春御慶などの取次ぎした書集で、昭和39年(1964)に長岡市指定文化財に指定されています。現在の蒼柴神社社殿は江戸時代後期の天明元年(1781)に造営されたもので、拝殿は木造平屋建、入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、桁行5間、梁間3間、正面3間唐破風向拝付、建築面積105u。本殿は一間社流造、こけら葺、建築面積14u、棟梁は安達藤佐衛門吉高。蒼柴神社本殿・拝殿は江戸時代後期の神社社殿建築の遺構として貴重で、「再現することが容易でないもの」との登録基準を満たしている事から平成18年(2006)、国登録有形文化財に登録されています。社殿の正面には入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚単層門、外壁は素木板張りの神社山門(随神門 ※詳細は不詳ですが以前は仁王門だったような印象を受けます)が建立され異彩を放っています。境内には招魂社牧野家歴代の御霊廟、悠久山神祠碑などがあります。

蒼柴神社:写真

蒼柴神社
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