長岡市: 普済寺

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概要・歴史・観光・見所

普済寺(長岡市)概要: 普済寺の創建等は不詳ですが、背後の栖吉城を居城とした古志長尾氏の菩提寺だったと伝えられています(古志長尾氏は上杉家の一門で、上杉謙信の生母である虎御前は古志長尾氏出身とされています)。

承応3年(1654)12月、長岡藩(藩庁・長岡城)の初代藩主牧野忠成が江戸で死去すると、明暦元年(1655)1月に遺言により長岡城の城下を見下ろすこの地で荼毘に付され、葬られました。享年74歳。普済寺は忠成の菩提寺として庇護され、本堂には忠成の木像や歴代牧野家の位牌が安置されました。

境内背後の長い階段の最奥地には忠成の墓碑である荘厳な五輪塔が建立され左右には殉死した能勢兵右衛門(200石)、渡辺七郎左衛門(30石)のやや小さな五輪塔が並んでいます(殉死者は3人で、あと1人は池田恒興の甥で牧野家に召抱えられた池田小左衛門成興300石)。牧野忠成墓所は歴史的にも貴重な事から昭和41年(1966)に長岡市指定史跡に指定されています。

又、牧野忠成墓所までの参道には慶応4年(1868)の戊辰戦争(北越戦争)で命を失った少年長岡藩士、西郷勇英人(妙見村で負傷し生家で死去:16歳)、牧野金太郎正英(片貝村で戦死:17歳)、三間豊蔵正英(新保村で負傷し会津城下にて死去:享年18歳)の墓碑が建立されています。

普済寺:上空画像

普済寺:写真

普済寺境内正面に設けられた石柱山門
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