金峯神社(長岡市)概要: 金峯神社は新潟県長岡市西蔵王2丁目に鎮座している神社です。金峯神社の創建は和銅2年(709)に元明天皇の勅願により奈良県吉野の蔵王権現の分霊を古志郡栃尾楡原の地に勧請したのが始まりと伝えられています。
一方、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された宇奈具志神社の論社でもあります。金峯神社は一種の修験道として発展し境内の大伽藍だけでなく支院数カ寺38坊を抱える大寺院となり僧徒、山伏修験者は数千人に達したそうです。その後、金峯神社は一時衰退しますが仁治3年(1242)に地主神を祀る為に鎮座していた又倉神社と合祀し再興すると再び興隆し南北朝の騒乱にも影響力を与えました。
蔵王権現(金峯神社)は「越後中越地方の総鎮守」、「八十ヶ町村の総氏神」などとも呼ばれ歴代領主(特に春日山城の城主)である上杉家、堀秀治・忠俊、松平忠輝、堀直寄などからも崇敬庇護されました。江戸時代に入ると金峯神社は歴代長岡藩(藩庁:長岡城)の藩主の崇敬社となり初代牧野忠成は社領40石の寄進、寛永元年(1624)には社殿の造営を行い藩主が交代する際には必ず参拝したとされます。
又、金峯神社は三代将軍徳川家光からも崇敬され慶安元年(1648)に300石の朱印状や玉廉が寄進されています。金峯神社の社地は当初の栃尾楡原から永禄3年(1560)に三島郡西越庄矢田村に遷座し、その後、高志郡大島庄川崎郷を経て正徳3年(1711)に現在地に遷座しています。明治時代に入ると神仏分離令が発令されと別当寺院だった安禅寺と分離し、金峯神社と改称、県社に列しました。
現在の金峯神社の社殿(拝殿は入母屋、銅板葺、3方千鳥破風、平入、桁行5間、梁間4間、正面3間唐破風向拝付、外壁は真壁造板張り。本殿は三間社流造、銅板葺)は明治40年(1907)の火災で焼失後、大正2年(1913)に建て替えられたものですが(中越大地震で大破し大改修された)、参道の大木や軍事拠点ともなった蔵王堂城の遺構なども残されていて当時の繁栄を窺うことが出来ます。
又、毎年7月15日の金峯神社大例祭で奉納される「流鏑馬」神事は前九年合戦で源義家が陸奥国へ下向する途中、当社に戦勝祈願をした際行なわれたものが現在でも引き続けられているもので昭和46年(1971)、長岡市指定無形民俗文化財に指定されています。
境内に生える大欅は推定樹齢800年、樹高14m、目通り幹周8.4m、古くから御神木として信仰され大木で貴重な事から昭和38年(1963)に長岡市指定天然記念物に指定されています。毎年11月5日に行われる「王神祭」神事は古式を伝える貴重な行事として昭和36年(1961)、新潟県指定無形民俗文化財に指定されています。祭神:金山彦命。
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