椎谷観音堂

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概要・歴史・観光・見所

椎谷観音堂(柏崎市)概要: 椎谷観音堂の創建は弘仁年間(810〜823年)に開山されたと伝えられています。伝承によると弘仁2年(811)、天拝山(標高126m)の海上に夜な夜な神々しい光るものが現れた為、不思議に思った地元の猟師が網を下ろしてみると光り輝く聖観音菩薩が出現しました。村人達は吉兆と悟り天拝山に荘厳な堂宇を造営し聖観音菩薩を安置し末永く信仰したそうです。その聖観音菩薩像は現在は秘仏とされ住職在任中一度だけ御開帳されるそうです。

椎谷観音堂は越後屈指の観音霊場とされ、日乞、雨乞、諸願成就、算額などの祈りの絵馬や、椎谷や宮川海運、漁業関係の絵馬など多数奉納され、境内には三十三観音を模した石仏や石碑、宝篋印塔などが建立され霊場にふさわしい景観となっています。

椎谷観音堂は歴代椎谷藩(藩庁:椎谷陣屋)の藩主堀家からも信仰され、特に3代藩主堀直恒夫人(慶寿院真諦妙観大姉)の遺言により宝暦14年(1764)に寄進された陰陽の弓と定紋蒔絵弓箱は柏崎市指定有形文化財となっています。

山門(入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門)から観音堂まで300段の石段がありますが、これは昔悪事を働いた清八という人物が村人に捕まり簀巻きにされ海に落とされた際、観音様の力を借り命を取り留めた事から自ら出家し頓入沙弥と名乗り、罪を償う為に海岸から石を運び18年かけて積み上げたもので、石段が完成後の寛政元年(1789)6月15日、自ら掘った洞窟に入って入定したと伝えられています。

現在の椎谷観音堂は寛永元年(1624)の火災で焼失後の明和7年(1770)に再建されたもので入母屋、茅葺、平入、桁行4間、梁間4間、正面1間向拝付、外壁は板張素地造、江戸時代中期の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和48年(1973)に柏崎市指定史跡に指定されています。

又、山門前には文政4年(1820)にこの地を訪れた俳人巣也が地元の俳人武田岡右ェ門と協力し「草臥て 宿かるころや 藤の花」と詠んだ芭蕉句碑を建立しています。越後三十三観音霊場番外札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:ふきちらす かぜのうらみは はるのはな 紅葉のあきに ひとはのこらん)。別当寺院は華蔵院(真言宗豊山派)。

椎谷観音堂(華蔵院)の文化財
・ 三十三身仏額(33面)−貞享2年−狩野守則の画−柏崎市指定有形文化財
・ 陰陽の弓と定紋蒔絵弓箱(1具)−宝暦14年−柏崎市指定有形文化財
・ 鰐口−寛文12年−直径41p、厚17.6p−柏崎市指定有形文化財
・ 船絵馬−天保3年:長栄丸・天保14年:宮吉丸−柏崎市指定有形文化財
・ 絵馬−二舎人黒駒・千匹駒・算額絵馬など−柏崎市指定有形文化財
・ 椎谷観音堂−明和7年−入母屋、茅葺、正面1間向拝付−柏崎市指定史跡
・ 頓入沙弥入定窟石段及び鉄鉢−柏崎市指定史跡
・ 大ケヤキ−推定樹齢千年−樹高30m、幹周6.6m−柏崎市指定天然記念物

柏崎市:神社・仏閣・再生リスト
椎谷観音堂:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由来・椎谷の馬市・馬市法要)
・ 現地案内板-柏崎市


椎谷観音堂:ストリートビュー

椎谷観音堂:写真

椎谷観音堂境内正面に設けられた庚申塔と石仏
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椎谷観音堂参道石段から見上げた山門と石造寺号標 椎谷観音堂参道沿いに建立されている芭蕉句碑(草臥れて 宿かるころや 藤の花) 椎谷観音堂参道石段と社叢 椎谷観音堂:頓入沙弥入定窟石段
椎谷観音堂参道沿いにある石燈篭と石仏 椎谷観音堂正面と石燈篭 椎谷観音堂向拝と外壁 椎谷観音堂境内に生える大ケヤキ


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