柏崎市: 椎谷陣屋

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概要・歴史・観光・見所
椎谷陣屋(柏崎市)概要: 椎谷陣屋は椎谷藩堀家の陣屋です。藩祖である椎谷陣屋(柏崎市)堀直之は堀直政の四男として生まれ、元和2年(1616)大坂の陣の功により新たに越後国沼垂郡5千5百石が与えられ、領地である上総国4千石と甲斐国2千石を合わせ1万1千5百石で椎谷藩を立藩します(その後、弟に1千5百石を分知し1万石となった)。当初は関東など領地が分割されていた事もあり現在の西山町にある超願寺(真宗大谷派)に仮陣屋を置く程度でしたが、領地替えの結果椎谷中心とした領土となった為、元禄11年(1698)4代堀直宥のときに唐箕前に陣屋を移し、正徳5年(1715)5代直央の時に現在地に椎谷陣屋を築き以後13代之美まで椎谷藩の藩庁が置かれました。陣屋は標高20m、3000坪の規模で藩主邸、役所、勤番所、馬場、砲術稽古場、井戸、土塁、大手門、表門、裏門、長屋、武家屋敷、武器庫、上ノ籾蔵、下ノ籾蔵、稲荷社などの施設が建てられました。椎谷陣屋(柏崎市)藩主である堀家は定府大名だった為、基本的に江戸詰めで領内は不安定な状態が続き天明義民事件や堀之敏暗殺未遂事件などが起こっています。慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、椎谷藩は新政府側に与し為、水戸藩の侵攻により椎谷陣屋が一時占拠されましたが薩摩藩と長州藩が合流すると水戸藩は退却し、領内を制圧します。しかし、新政府軍が引き上げると再び水戸藩が侵攻し陣屋と城下に火をかけ大きな被害を受けます。戊辰戦争の戦禍などにより建物としての遺構は失われたましたが現在でも藩主邸跡などの平場や土塁、井戸跡などが比較的よく残り、鎮守社である稲荷神社が再建されています。椎谷陣屋は昭和46年(1971)に新潟県指定史跡に指定されています。

椎谷陣屋:写真

椎谷陣屋
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