柏崎市(歴史)概要: 柏崎市は北陸街道の宿場町だけでなく北前船の寄港地や小千谷や十日町といった中小都市との間に魚沼街道(鯖石街道)が延びる交通の要衝として発展しました。
特に地域間の街道からは"越後縮"が運び込まれ柏崎宿はその集積場として大いに繁栄したとされ、江戸や大坂、京都、九州、北海道まで販路があったとされます。高田藩の所領以降は白河藩、桑名藩と変遷しますが領主は松平越中守が代々支配が変わらず大久保には柏崎陣屋が設けられ領内221カ村の総支配所として柏崎市は周囲の行政的な中心地ともなりました。
又、椎谷地区は元禄11年(1698)に堀直宥が越後と関東にあった領地を沼垂郡、蒲原郡、三島郡、1万石に集約し領内に陣屋を構え椎谷藩を立藩します。椎谷城下(陣屋町)は北陸街道の宿場町で日本三大馬市よ呼ばれる「椎谷の馬市」が開かれるなど経済的には安定していましたが6代藩主直恒以降は定府大名となった事で、藩主が領内で政務を取る事がなく行政的、経済的に不安定な状態となり、農民に重税を掛けた事で天明義民事件が勃発、幕府の裁定を仰ぐといった事件が起こります。
戊辰戦争では早々と新政府側に恭順姿勢を見せたことで水戸藩脱兵から椎谷陣屋に乗り込まれ、周囲が戦場となりました。椎谷藩は薩摩、長州の援軍を得て領内を制圧しますが間隙を縫って水戸藩兵から放火を受け、陣屋、城下町共に大きな被害を受けました。明治4年(1871)に椎谷県が成立し、後に柏崎県、新潟県へと編入します。
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