天昌寺(南魚沼市)概要: 飯盛山天昌寺の創建は奈良時代の養老6年(722)、藤原房丸(藤原鎌足の曾孫)が観世音菩薩座像を安置して開基、泰澄大師(白山を開山した修験道の高僧)が開山したと伝わっています。長和元年(1012)に恵心僧都源信(平安時代中期の天台宗の高僧)が諸国に布教していたところ、観音菩薩の御告げがありこの地に多聞天立像、持国天立像を脇侍として安置しました。
寛元年間(1243〜1247年)に時の鎌倉幕府執権北条時頼が定めた越後三十三番観音霊場第十二番札所となると寺運も隆盛、延徳元年(1489)には雲洞庵住職禅実和尚が曹洞宗寺院として改宗開山し以後、雲洞庵(越後四ケ道場)の末寺となっています。中世は領主である上杉家に庇護され天正14年(1587)にが寺領として10石拝領しています。
天昌寺の現在の本堂は江戸時代初期の万治2年(1659)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行10間、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、外陣欄間彫刻は熊谷出身の名工として知られる小林源太郎の作で「梅福仙人図」、「静玄夫人図」、「祝鶏老翁図」、「大真王夫人図」、「盧教仙人図」、「牡丹獅子図」、「子引獅子図」の7面は南魚沼市指定文化財、入口左右には仁王像が安置されています。
越後三十三観音霊場第12番札所(札所本尊:正観世音菩薩・御詠歌:君かえる 山のこなたの思川 ふかき誓いを 渡りてぞ知る)。上田三十三観音霊場第27番札所。山号:飯盛山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。
天昌寺の文化財
・ 木造観世音菩薩座像−鎌倉前期−桂材、一木造−新潟県指定重要文化財
・ 木造多聞天立像−鎌倉時代前期−桂材、一木造−新潟県指定重要文化財
・ 木造持国天立像−鎌倉時代前期−桂材、一木造−新潟県指定重要文化財
・ 本堂欄間彫刻(7面)-嘉永7年-厚30p、小林源太郎作-南魚沼市指定文化財
天昌寺:上空画像
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