川合神社(長岡市)概要: 川合神社は新潟県長岡市東川口に鎮座している神社です。川合神社の創建は不詳ですが伝承によると雄略天皇22年(478)に勧請されたのが始まりと伝えられています。
この地は信濃川と魚野川の合流点で、当初はそれらの川を見下ろす崖地に鎮座し祭神である天水速女命は川を下り山芋の蔓を利用し上陸したとの伝説もあり水や川と縁の深い神社でした。又、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された川合神社の論社で古くから当地域の産土神として信仰されてきました。
歴代領主や為政者からも崇敬庇護され、奥州で勃発した前九年合戦(1051〜1062年)の折、討伐軍を指揮し当地を訪れた源義家は当社を参拝せず進軍したところ、急に愛馬が動かなくなったことから神意と悟り急いで泥障を奉納し戦勝祈願をするとようやく愛馬が動き出し見事、反乱軍を鎮める事が出来たそうです(以後、泥障様:あおりさま、と呼ばれ武運長久に御利益があるとされました)。
戦国時代には上杉輝虎(上杉謙信)が崇敬し弘治2年(1556)には吉光銘の太刀(2尺2寸)一振と御詠歌(みなもとの おなし流れの 水面に 照りそう月も 川合の神)を奉納されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治5年(1872)に郷社、明治6年(1873)に村社に列しました。
大正11年(1922)に上越線が開削の際、境内が分断され昭和41年(1966)、上越線が複線化工事の為、残された境内も失う事になり現在地に遷座しています。祭神は天水速女命、武甕槌命。
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