長楽寺(阿賀野市)概要: 能満山長楽寺の創建は幾度の火災で記録が焼失し不詳ですが真言宗の寺院として開かれたのが始まりと伝えられています。文安年間(1444〜1449年)、華報寺を開いた大庵梵守禅師が中興開山しその際、曹洞宗に改宗しています。
その後一時衰退しますが戦国時代、上杉家の家臣として水原領の領主となった水原親憲(特に鉄砲隊を率い、長谷堂城(山形県山形市)からの撤退戦や大坂の陣では大きな功績を挙げています。)が中興し当地域の中心的な寺院として寺運も隆盛しました。
江戸時代に入ると、水原代官所の代官の菩提寺として庇護され境内には水原代官所関係の墓碑が数多く建立されています。本尊の木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代前期、河内国(現在の大阪府)出身の仏師、稽主勲が彫り込んだものと伝えられるもので檜材、割矧造、漆箔、像高89.3cm、新潟県内に残る鎌倉時代の阿弥陀如来像の中でも優れている仏像として貴重な事から平成3年(1991)に新潟県指定文化財に指定されています。
又、境内の水原代官所関係墓跡群が平成14年(2004)に阿賀野市指定文化財に指定されています。山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚楼門、木部は朱塗り。蒲原三十三観音霊場三十三番札所(札所本尊:聖観世音・御詠歌:谷汲みの 流れも同じ 水原に をさめてかへる肩のおひづる)。山号:能満山。宗派:曹洞宗。本尊:阿弥陀如来。
水原代官所関係墓跡群(阿賀野市指定有形文化財−歴史資料)
・ 2代代官−竹垣治部右衛門
・ 21代代官−里見源左衛門定昭
・ 2代代官竹垣治部右衛門手代−飯塚利八・夫妻子
・ 5代代官小笠原友右衛門手代−丹羽戸作
・ 5代代官小笠原友右衛門手代−井上久大夫
・ 井上久大夫妻女
・ 7代代官川崎平右衛門手代−平井瀬助
・ 9代代官前澤藤十郎手附−玉木儀四郎
・ 玉木儀四郎家族
・ 10代代官平岡彦兵衛元締−大塚恒蔵子
・ 13代代官大貫次右衛門手附−菅井荘四郎
・ 13代代官大貫次右衛門手附−酒巻浅蔵
・ 15代代官大草太郎左衛門陣屋詰−山内孫治
・ 21代代官里見源左衛門定昭手附−佐藤庚十郎・次女満壽
・ 会津藩士−佐瀬重威−慶応4年(1868)、北越戦争で戦死
・ 五輪塔2基。石仏3体−室町時代以前のものと推定
長楽寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(石佛・五輪塔・水原代官所関係者墓城趾図)-能満山長楽寺
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