阿賀野市: 観音寺

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概要・歴史・観光・見所
観音寺(阿賀野市)概要: 臨澤山観音寺は新潟県阿賀野市草水に境内を構えている曹洞宗の寺院です。観音寺の創建は室町時代の応仁2年(1468)、当時の領主越後長尾家が月窓明潭大和尚(現在の福島県須賀川市にある長禄寺の住職)を招き開山したと伝えられています。その後衰微しましたが、上杉謙信(春日山城の城主)が領主となると観音寺を深く帰依し、中興開基となり境内を整備し寺領として8000刈を寄進し、上杉家伝来の家宝を奉納したそうです。

その後、寺運も隆盛し末寺19ヶ寺を有する大寺院となり跡を継いだ上杉景勝(上杉謙信の甥、養子)も天正7年(1579)に寺領150貫を寄進し境内には柏樹園という庭園を作庭しています。この柏樹園の名称は当寺の寺号である「臨澤山柏樹林観音寺」の由来にもなっています。又、庭園中心に配された心字池の「心」は謙信の戒名である「不識院殿光謙信 法印大阿闍梨」に由来していると伝えられています。境内には謙信の死後、墓碑(供養塔)が建立され法堂には謙信と景勝の位牌が安置されています。

慶長3年(1598)、上杉景勝が会津(福島県会津若松市−鶴ヶ城)に移封になると再び衰微、24世仙巌盤旬大和尚によって再興され堂宇の再建や境内の整備が行われ修行道場として多くの修行僧が訪れ再び隆盛しています。慶応4年(1867)の戊辰戦争では境内が戦場となり多くの会津藩士が観音寺に立て籠もり新政府軍と応戦し、その戦禍により多くの堂宇は焼失、現在でも境内にたつ巨木には弾痕の跡が残ります。

現在の観音寺本堂(法堂)は明治17年(1884)に再建されたもので寄棟、桟瓦葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ。山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚楼門、上層部は鐘撞堂、花頭窓付。又、境内には中興の祖となった上杉謙信の墓碑建立され本堂には謙信と景勝の位牌が安置されています。蒲原三十三観音霊場第二番札所(御詠歌:草水を わけてたづぬる 月かげの 観音寺裏の 鐘のひとこゑ)。宗派:曹洞宗。本尊:聖観音菩薩(伝:行基菩薩作)。山号:臨澤山。

観音寺の文化財
・ 大ケヤキ−推定樹齢300年、樹高22m、幹周6.3m−市指定天然記念物
・ 大銀杏−推定樹齢300年、樹高24m、幹周5.9m−市指定天然記念物
・ 大スギ−推定樹齢500年、樹高32m、幹周4.5m−市指定天然記念物

観音寺:写真

観音寺
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