阿賀野市(歴史)概要: 阿賀野市は古くから中央の繋がりがあった地域で大和朝廷の地方出先機関である官衙と推定される遺物が旧笹神村発久遺跡から発見されています。平安時代末期からは現在の阿賀野市全域が含まれるという白河荘が皇嘉門院(藤原聖子)の荘園として認められ、鎌倉時代からは大見氏が地頭として引き継ぎます。
大見氏は安田氏と姓を変えこの地に土着し国人領主として勢力を伸ばしますが戦国時代末期になると揚北衆(北越後の国人衆)として長尾氏に次いで上杉謙信、景勝に従属します。
上杉景勝が居城を春日山城(上越市)から鶴ヶ城(会津若松市)へ移すと安田氏もこれに従いこの地を去り、阿賀野市一帯は村上藩に属します。村上氏、堀氏と藩主が変わり寛永16年(1639)に先代藩主堀直寄の次男の直時に3万石を分地したことで安田藩が立藩します。
しかし、正保元年(1644)に直時の嫡子堀直吉が村松へ配置換えになると安田藩は廃藩となり新たに村松藩が立藩されます。
その後、阿賀野市周辺は天領となり延享3年(1746)には水原代官所が設けられ明治維新まで代官所支配が続きます。歴代の代官の人数は22代を数え石高は5万石から10万石を領し下越後の新田開発や年貢の徴収、隣接する外様大名の新発田藩(藩庁:新発田城)、村上藩(藩庁:村上城)の監視、情報収集などを行いました。
慶応4年(1868)から会津藩預かりとなりますが新政府軍の侵攻により会津藩は撤退し水原代官所は廃されます。新たに越後府が設置され越後の中心としての役割をもちますが明治3年にこれも廃止されました。
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