阿賀野市: 笹岡城

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概要・歴史・観光・見所
笹岡城(阿賀野市)概要: 笹岡城は新潟県阿賀野市笹岡に築城された中世の城郭です。笹岡城の築城は室町時代(南北朝時代)の貞和年間(1345〜1350年)、篠岡中将丞資尚(笹岡資尚)によって築かれたのが始まりとされます。応永30年(1423)から応永33年(1426)にかけて当時の越後国守護職だった上杉頼方と守護代だった長尾邦景が対立し、越後国の国人領主が双方の陣営に分かれ大きな争乱(応永の乱・越後応永の大乱)となり、当時の奥山庄中条郷の領主、中条房資は上杉方に属し笹岡城も戦場となっています。戦国時代に入ると上杉謙信(関東管領、越後守護職、春日山城の城主)の養女を娶り山浦上杉家を継いだ山浦景国(村上義清の子供又は孫)が城主となり、謙信の死後に発生した後継者争いである御館の乱(天正6〜8年:1578〜1580年)では上杉景勝方で功績を挙げた今井国広が笹岡城を与えられました。御館の乱の恩賞を巡り景勝と対立した新発田重家新発田城の城主)との争乱である新発田合戦(新発田重家の乱)では、笹岡城が景勝方の重要拠点として機能していましたが、天正13年(1585)、その重家の侵攻により落城しまもなく廃城となっています。

【 笹岡城の縄張り 】−笹岡城は比高約30mの丘に築かれた平山城で全長365m、幅130m、頂上部に設けられた主郭を中心に二の郭、三の郭、北の郭、南の郭という主要な郭の他、細かなものを含めると50箇所以上の郭で構成されていました。又、往時は笹岡城の周辺は福島潟で囲われ天然の外堀として機能していた思われます。主郭の土塁にある「十郎杉」はその昔、城の連絡船「十郎丸」を繋いでいた、笹岡城の望楼の役目をしていたなどと伝わる大杉で推定樹齢450年以上、樹高約24m、幹周約6.2m、昭和47年(1972)に阿賀野市指定天然記念物に指定されています。笹岡城(諏訪神社・鑑洞寺・笹岡地区)は現在でも郭の形状や土塁、空堀などの遺構が残り平成7年(1995)に阿賀野市指定史跡に指定されています。又、主郭跡地には弘化3年(1846)、越中屋忠兵衛が建立した松尾芭蕉句碑「鞍つぼに 小坊主のせて らいふくひき はせお」が移され、郭の一部に境内を構える鑑洞寺には今井国広と今井家家臣だった星野藤左衛門の墓碑が建立されています。

笹岡城:写真

笹岡城
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