安田町(阿賀野市)概要: 安田町は古くから開けていた地域で旧石器時代から多くの遺跡が発掘されています。平安時代に入ると白河庄と呼ばれる荘園として平家の一族である城氏が領主となり治めていましたが鎌倉時代になると新たに大見氏が地頭となりました。その後大見氏は地名である安田氏を名乗り安田城を整備するなど領国経営を行い国人領主化して戦国時代を迎えます。安田氏は揚北衆(北越後の国人衆)として長尾氏に次いで上杉謙信、景勝に従属し川中島合戦や御館の乱、新発田重家の乱など多くの戦に加わり功をあげています。
特に永禄4年(1561)の川中島合戦では上杉謙信より血染めの感状を受けています。上杉景勝が居城を春日山城(上越市)から鶴ヶ城(会津若松市)へ移すと安田氏もこれに従いこの地を去ります。安田一帯は村上領に属するようになり村上氏が領主となり元和4年(1618)からは堀直寄が領主となります。
寛永16年(1639)に堀直寄の次男の直時に3万石を分地したことで安田藩が立藩しますが、正保元年(1644)に直時の嫡子堀直吉が村松へ配置換えになると安田藩は廃藩となります。又、安田町は火事の多い地域と呼ばれ火事があるごと町割りが変えられ現在でも当時築かれた火除土手が残っています。
安田町の火事の歴史
・ 貞享2年(1685) − 70戸焼失
・ 宝暦8年(1758) − 焼失戸数不明
・ 安永5年(1776) − 17戸焼失
・ 文化9年(1812) − 焼失戸数不明
・ 天保13年(1842) − 51戸焼失
・ 明治23年(1890) − 42戸焼失
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