福隆寺(阿賀野市)概要: 寺社山福隆寺の創建は天平8年(736)に名僧行基菩薩(奈良時代の名僧、東大寺の「四聖」の一人、日本で最初の大僧正)がこの地を訪れ、自ら千手観世音(御丈2尺4寸)を彫り込み安置したのが始まりと伝わっています。
大同2年(807)には弘法大師空海(真言宗の開祖)が訪れ将軍地蔵、勝敵毘沙門を彫り込み千手観世音の脇侍とし堂宇を整備しています。創建当初は千手院と称していましたが鎌倉幕府が成立すると源頼朝の寺領を賜るなど庇護となり福隆寺と改めています。
その後は寺運も隆盛最盛期には寺領500石を領し6坊を有しましたが、兵火により多くの堂宇が焼失し一時衰退します。元和2年(1616)、仙雅(高野山正智院の弟子)によって再興されその際、牛頭天王の分霊を勧請し福隆寺の鎮守とし、寛永12年(1635)には村上藩主(村上城の城主)堀直次により観音堂が造営されています。
福隆寺の本堂は嘉永6年(1854)に建立された古建築で、寄棟、桟瓦葺、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り、観音堂も安永5年(1776)に建てられた堂々とした建築でしたが昭和60年(1985)に火災で焼失しました(その後再建)。福隆寺観音堂は蒲原三十三観音霊場第一番札所(札所本尊:千手観世音菩薩・御詠歌:柳島 願いをかけて くる糸の 絶えぬ誓いを 頼むものかな)です。越後弘法大師二十一ケ所霊場第11番札所。越後八十八ヶ所霊場第40番札所。山号:寺社山。宗派:真言宗。本尊:大日如来。
福隆寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 越後八十八カ所霊場 遍路の旅-株式会社 新潟日報事業社
|
|