新発田市: 大友稲荷神社奥の院

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概要・歴史・観光・見所
大友稲荷神社奥の院(新発田市)概要: 大友稲荷神社の創建は鎌倉時代の建長年間(1249〜1256年)に当時、越後国蒲原郡大友の領主だった大友実秀(※1)が祈願寺である東泉寺(※2)の鎮守社として京都にある伏見稲荷大社(京都市伏見区)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。家内安全、商売繁盛、諸願成就に御利益があるとして信仰を広め県内外からも多くの参拝者が訪れるそうです。境内には奉納された鳥居や小祠、石祠などであふれ、ある種の緊張感のある空間になっています。社殿は入母屋、鉄板葺、妻入、正面1間唐破風向拝付。祭神は宇迦之御魂大神。例祭は毎年3月の最初の午の日。

(※1)大友実秀−案内板によると「・・・鎌倉幕府の信任あつく、のちに越後守護職となった大友駿河守実秀の発願・・・」とありますが当時の越後守は北条氏、守護は名越氏が勤めていたので越後守護職ではなさそうです。一般的には源頼朝の側近の1人佐々木盛綱の子供である信実の2男実秀が当地を与えられ地名から大友姓を名乗ったとされます。因みに佐々木信実は越後国加地荘地頭、備前国守護、加地氏の祖となった人物。その為、大友実秀=加地実秀とも言えます。備前国守護は信実以下、実秀、実綱によって継承されたとも言われ、案内板の越後守護職ではなく備前守護職だったと思われます。又、鎌倉時代に製作された正式な歴史書である吾妻鏡にも「佐々木次郎實秀〔不著冑〕立軍陣讀之」との一説が記載されている事からある程度中央にも認識されていた人物だった事が窺えます。
(※2)東泉寺−建長4年(1252)、大友実秀が鎌倉長谷にある大仏の鋳造した際、戦で戦死した家臣達の菩提を弔う為に開いたのが始まりとされます。当初は真言宗の寺院でしたが天文21年(1552)に曹洞宗に改宗しています。

大友稲荷神社奥の院:写真

大友稲荷神社奥の院
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