藤戸神社

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概要・歴史・観光・見所

藤戸神社(新発田市)概要: 藤戸神社は新潟県新発田市東宮内藤戸山に鎮座している神社です。藤戸神社の創建は文治5年(1189)、当時の領主、加治荘の地頭職に就任した佐々木盛綱が佐々木家の祖神(宇多天皇)の御霊を勧請したのが始まりとされます。

一方、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている美久理神社の論社でもあり、こちらが正しければ創建年は更に遡る事になり、古くから何らかの信仰があったと思われます。

藤戸神社境内は盛綱が築き歴代佐々木加地氏の居城となった加治城の一角にあり、佐々木家の氏神、加地城の鎮守社として崇敬庇護されたと思われます。社号である藤戸は元暦元年(1184)、盛綱が源平合戦の1つ藤戸の戦いで見事敵の大将である平行盛との激闘に勝利した事に由来するとされ、藤戸の戦いの逸話は平家物語でも取り上げられ、謡曲「藤戸」の題材にもなっています。

加治氏は南北朝時代は周辺国人領主を束ねる立場でしたが、室町時代中期以降は越後守護職の上杉家や守護代の長尾家の台頭などで次第に衰微し両家に従う一領主となり、上杉謙信時代は有力武将として名を連ねました。御館の乱では上杉影虎陣営に付き五十公野氏に攻められ加治城は落城、その後許されるも、天正15年(1587)の新発田重家の乱では新発田家(新発田城の城主)陣営に付いた為、上杉景勝(春日山城の城主)に攻められ落城しています。

記録には無いものの当社も兵火によりその都度焼失し、慶長2年(1597)上杉景勝の命により加治氏が断絶すると庇護者を失い衰微したと思われます。江戸時代は神仏習合し加治明神などと称していましたが、明治時代に入り村社に列し、社号を藤戸神社に改めています。

藤戸神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、向拝木鼻には獅子の彫刻が施され欄間部には佐々木加治氏の家紋である四つ目の目結紋が掲げられています。本殿は拝殿から若干離れた高台に設けられ一軒社流造、銅板葺。明治33年(1900)には石川吉蔵が願主として製作された算額が門人達によって奉納され、昭和54年(1979)に新発田市指定有形文化財(歴史資料)に指定されています。現在の祭神は大國主大神、天照皇大神、宇多天皇。

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【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-新発田市観光協会
・ 越佐の神社 式内社六十三-株式会社 新潟日報事業社


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藤戸神社:本殿・拝殿・写真

藤戸神社
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