新発田市: 福勝寺

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概要・歴史・観光・見所
福勝寺(新発田市)概要: 福勝寺の創建は応永元年(1394)に越後四ケ道場の一つ雲洞庵南魚沼市)三世悦叟和尚が開山したと伝えられています(雲洞庵末寺)。新発田重家天正9年(1581)、新発田城の城主新発田重家が自刃し当寺に葬られると開基となり菩提寺となっています。新発田氏の祖先である佐々木盛綱は当初から源頼朝に従った有力御家人で、加地荘の地頭になると後裔が加地氏を名乗りその子孫は新発田氏や竹俣氏、五十公野氏、楠川氏などに別れ揚北衆として戦国時代には上杉謙信に仕えました。当時の当主新発田長敦は謙信の有力家臣として信任が篤く数々の重責をこなし、天正6年(1578)謙信が死去し後継者争い(御館の乱)が起こると上杉景勝(春日山城の城主)に与し大きな戦果をあげます。しかし、長敦が死去すると、恩賞が与えられないばかりか領地を一部返上することが命じられ、長敦の跡を継いだ弟の新発田重家は景勝と対立するようになります。天正9年(1581)、重家は織田信長や芦名氏の後ろ盾を得て上杉家から独立、所謂"新発田重家の乱"が勃発し天正15年(1587)に新発田城が落城し重家が自刃するまで6年間続けられ、おおいに景勝を苦しめました。景勝の支配下では表立っての行動は控えていましたが慶長2年(1597)に景勝が会津(福島県会津若松市)に移封になり新たに溝口秀勝が新発田藩に6万石で入封すると重家の為に墓碑と御霊屋が建立され、さらに7代藩主溝口直温が重家の木像を寄進しています。現在の本堂は安政4年(1857)の火災で焼失後に再建されたもので、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張、縦押縁押さえ。境内には新発田重家の御霊屋である佐々木堂(重家の木像や肖像画、陣笠、守り本尊、旗指物などが奉納)や重家の墓碑「法名:菩提寺殿一声道可大居士」、銅像などが建立されています。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

福勝寺:写真

福勝寺
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