名 称 | 場 所 | 内 容 |
・華報寺 | ・新潟県 ・阿賀野市 | ・天平年間(725〜749年)、行基菩薩が五頭山で厳しい修行を行うと霊験あらたかな霊木を得る事が出来ました。行基は霊木から優婆尊像を4躯彫刻し、その内の1躯を安置したのが華報寺の前身とされます。ただし、大同年間(806〜810年)に弘法大師空海が創建したとの説もあり詳細は不詳となっています。境内には弘法大師空海が錫杖を突いて湧き出したと伝える出湯温泉の源泉があり、門前町は温泉街となっています。 |
・福隆寺 | ・新潟県 ・阿賀野市 | ・天平8年(736)に行基菩薩が巡錫で当地を訪れた際、本尊となる御丈2尺4寸の千手観世音菩薩像を彫刻し一宇を設けて安置したのが始まりと伝えられています。さらに、大同2年(807)には弘法大師空海が当寺に巡錫し、脇侍となる将軍地蔵像と勝敵毘沙門像を彫刻し安置したとされます。 |
・切畑観音堂 | ・新潟県 ・五泉市 | ・大同2年(807)、行基菩薩が全国巡錫し当地に訪れた際、銀杏(新潟県指定天然記念物に)の大木の枝を切って十一面観音像を彫刻し一宇を設けて安置したのが始まりと伝えら得ています。平安時代後期に行われた後三年合戦の際には本尊が源義家を危機から救った事から堂宇の造営と寺領の寄進が行われたそうです。 |
・不動院 | ・新潟県 ・見附市 | ・和銅年間(708〜715年)に行基菩薩が全国を巡錫していた際、七所山の山頂に北斗七星が大変美しく輝いて見えた為、当地が聖地であると悟り、本尊である千手観世音像を自ら彫刻し、麓に一宇を設けて安置し、山頂には守護神として七所権現を勧請して祭ったと伝えられています。 |
・大満虚空蔵堂 | ・新潟県 ・村上市 | ・天平2年(730)、行基菩薩が当地を訪れると、多くの住民が生活に苦しんでいた事から、その苦難を仏の力を借り救うため、自ら虚空蔵菩薩像を彫刻し虚空蔵山の山頂付近にある岩窟に安置したのが始まりと伝えられています。 |
・十念寺 | ・新潟県 ・上越市 | ・天平年間(729〜794年)に行基菩薩が当地を訪れた際に創建されたと伝えられています。戦国時代には上杉謙信が帰依し、川中島の合戦の際には長野善光寺の本尊を戦災から回避させる為に当寺に移した事から「浜善光寺」との別称で呼ばれるようになっています。 |
・別所虚空蔵尊 | ・新潟県 ・五泉市 | ・天平4年(732)、全国を巡錫し当地を訪れた行基菩薩は、住民が飢饉の為大変苦しんでいるのを憂い、1本の霊木から2躯の虚空蔵尊像を彫刻し、1躯を当寺、もう1躯を会津柳津(福島県柳津町)に安置したと伝えられています。 |
・金泉寺 | ・新潟県 ・加茂市 | ・奈良時代に行基菩薩により開かれたと伝わる寺院で、本尊も行基が彫刻したとの伝承が残されています。 |
・栃尾又温泉 | ・新潟県 ・湯之谷村 | ・栃尾又温泉は養老2年(718)、行基菩薩が源泉を発見したと伝えられています。 |
・大湯温泉 | ・新潟県 ・魚沼市 | ・養老2年(718)、行基菩薩が源泉を発見したと伝えられています。 |
・不動寺 | ・新潟県 ・小千谷市 | ・天平7年(735)、行基菩薩が桂の霊木から本尊となる不動明王像を彫刻し安置したのが始まりと伝えられています。 |
・法音寺 | ・新潟県 ・南魚沼市 | ・法音寺は行基菩薩が創建したと伝えられています。 |
・国上寺 | ・新潟県 ・燕市 | ・国上寺の本尊は行基菩薩が制作し婆羅門僧正が開眼したと伝えられています。 |