阿賀町: 津川城

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概要・歴史・観光・見所
津川城(阿賀町)概要: 津川城は佐原氏(後の芦名氏)の一族藤倉氏(後の金上氏)が鎌倉時代の建長4年(1252)に築いたとされています。佐原氏は鎌倉幕府の御家人三浦氏の一族で祖となる佐原十郎義運は文治元年(1189)の奥州征伐で大功があったことから会津4郡の領主となりました。戦国時代後期になると佐原氏一族の後裔とされる芦名氏は黒川城(会津若松城)を拠点に勢力を広め会津一円から福島県中通りなど南奥羽を制する大大名に成長していきます。津川城は芦名領と上杉領の境界に近く芦名氏側の越後攻略の拠点として軍事的に重要視され、金上氏は芦名家臣団のなかで3万8千石を有する地位を得ています。津川城は何度も戦場となり戦国時代に上杉謙信(春日山城の城主)の後継者争いである「御館の乱」や、その恩賞による不満から発生した「新発田重家の乱」やでも重要な役割を果たしました。天正17年(1589)の伊達氏との摺上原合戦に敗れた芦名氏は急速に衰退し佐竹氏を頼り常陸(現在の茨城県)へ落ち延び津川城の城主だった金上盛備もこの戦いで戦死しました。

伊達家時代には重臣である原田宗時に与えられましたが天正18年(1590)、政宗は小田原の役で遅参し、芦名氏との攻防も惣無事令違反とされた為、会津一帯の領地が召し上げられました。その後は江戸時代初期にかけて蒲生氏、上杉氏、加藤氏など次々に領主が変わり加藤嘉明が領主だった寛永4年(1627)に一国一城令を配慮する形で津川城は廃城となり、以後は川の対岸の平地に代官所が設けられました。

津川城は阿賀野川と常浪川の合流点にある要害の地で両川により浸食された断崖で囲われいる標高191mの麒麟山に築かれました。本郭を中心に出丸、二之郭、水之手郭などの郭があり主要部には高石垣、竪掘、土塁などが設けられ麓には侍屋敷が配されていました。本郭背後の高台には城主の氏神で津川城の鎮守社でもあった金上神社が鎮座しています。津川城の跡地は当時の遺構が残り歴史的にも貴重な事から昭和40年(1965)に新潟県指定史跡に指定されています。

津川城:写真

津川城
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