阿賀町(歴史)概要: 阿賀町は古くから交通の要衝として重要視されていた地域で鎌倉時代以降、現在の会津若松市にある黒川城(会津若松城)を本拠としていた佐原氏(後の芦名氏)の一族藤倉氏(後の金上氏)が支配していた事で福島県の会津地方と深い繋がりがありました。
その後、金上氏と名を改めますが芦名氏の家臣として従属し居城である津川城は芦名氏の越後侵攻の拠点として機能し「新発田重家の乱」や「御館の乱」でも重要な役割を果たしました。芦名氏が常陸(現在の茨城県)へ落ち延びると伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏など次々に領主が変わり加藤嘉明が領主だった寛永4年(1627)に一国一城令により津川城は廃城となります。
現在は新潟県に属していますが、江戸時代を通し現在の福島県会津地方にあった会津藩に属し、村上藩(藩庁:村上城)や新発田藩(藩庁:新発田城)の参勤交代で利用する越後街道の宿場町や阿賀野川舟運の川港町によって経済都市として飛躍的に発展しました。
津川宿には会津藩の施設である藩蔵や船番所が設置され、問屋や旅籠、米蔵など多くの建物が軒を連ね、最盛期には150隻の船が出入りし100人を越える丁持衆が働いていたと言い日本三大河港に数えられていました。現在では鉄道、その他の交通網が発達した事で重要性は失われましたが、「雁木」を設えた町屋が町並みを構成し、当時の繁栄した雰囲気を感じることが出来ます。
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