医王寺薬師堂(上越市)概要: 医王寺の創建は不詳ですが前九年合戦、後三年合戦の折り源頼義、義家親子が堂宇を建立したのが始まりと伝えられています。江戸時代に入り高田藩が立藩すると医王寺のある方角が高田城からみると裏鬼門にあたる為、歴代藩主から庇護されます。
特に寛永年間(1624〜1644年)に建立された薬師堂(入母屋、銅板葺、妻入、桁行3間、正面1間向拝付)は薬師如来を信仰していた時の藩主松平越後守光長(福井藩主松平忠直の嫡男、忠直の乱行により家督を継いだものの福井藩75万石から高田藩25万9千石に移封となった)の母、高田姫勝子(2代将軍徳川秀忠の娘、福井藩主松平忠直の正室、忠直の乱行により殺害計画があったとされます。菩提寺は長恩寺後の天崇寺)が寄進したといわれています。
薬師堂の本尊である薬師如来像(銅造如来坐像)は奈良時代前半の白鳳期の作と推定される古仏で、童顔童身の姿は金谷薬師として信仰の対象となり「田舎なれども金谷の薬師 花の高田は目の下だ」と歌われるほどでした。
薬師如来像は金銅仏、7世紀後半製作、全高23.7cm、像高17.2cm、頂顎6.3cm、耳張4.8cm、肘張8.5cm、膝張11.3cm、上越市最古の金銅仏意匠に優れ大変貴重な事から平成3年(1991)に国指定重要文化財に指定されています。宗派:真言宗豊山派。
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