春日神社(上越市)概要: 春日神社の創建は平安時代の天徳2年(958)に現在の春日山(当時は鉢ヶ峰)山頂付近に奈良県にある春日大社(奈良県奈良市春日野町)の分霊を勧請したのが始まりとされます。春日神社は越後国府全域の鎮護の神として広く信仰され室町時代の永徳元年(1381)に時の越後国守護代長尾高景が春日山城を築城するにあたり現在地に移されました。
現在の境内の地は春日山城から見ると鬼門(北東)にあたる為、春日山城の鬼門鎮守として歴代領主に崇敬されました。特に上杉家(藤原家の血筋)を継いだ長尾影虎(謙信)は春日神が藤原家の氏神にあたる為深く信仰し天文23年(1554)には社領18石を加増し、神輿を奉納したと伝えられています。
慶長3年(1598)、謙信を継いだ上杉景勝は居城を春日山城から鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移った事で庇護者が失われますが、新たに春日山城の城主になった堀秀治も引き続き庇護し、跡を継いだ堀忠俊が春日山城から福島城に移った際には分霊を勧請し、福島城下にも春日神社を創建しています。
堀家が改易となり慶長15年(1610)に入封した松平忠輝(徳川家康6男)も春日神社を庇護し慶長19年(1614)に高田城を築いた際には城下に春日神社を創建しています。
上杉家は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に組した為、米沢藩(山形県米沢市)へ減封になりますが春日神社の信仰は変わらず現在でも米沢城の片隅に分霊を勧請した春日神社が祀られています。当社に関しては慶長16年(1611)に幕府から50石の朱印状を受け取ると明治維新まで代々幕府から庇護されました。
春日神社は古くから神仏習合していましたが、明治時代の神仏分離令を経て明治5年(1872)に村社に列しています。拝殿は入母屋、鉄板葺、平入、桁行4間。本殿は一間社神明造、銅板葺。祭神は天児屋根神・武甕槌命・経津主神・女神比売神。
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