明静院(上越市)概要: 岩殿山明静院は新潟県上越市五智国分に境内を構えている天台宗の寺院です。明静院の創建は天平年間(729〜749年)に行基菩薩(奈良時代の高僧)が越後国分寺(現在の五智国分寺)造営に尽力していたところ、霊夢により当地が霊地と悟り越後国分寺の奥の院として堂宇を造営し自ら大日如来像を彫り込み安置し岩戸山妙徳院として開山したのが始まりとされます。
最盛期には子院十一坊を持つ大寺院となり越後の霊場として信仰を集め歴代領主からも庇護されました。特に上杉謙信が深く帰依したことで天正6年(1578)に謙信が死去すると遺骸に甲冑を着せたまま大きな甕に入れ漆で満たし春日山城の城内にあった当寺の境内に葬られたとも云われています。慶長3年(1598)、上杉景勝が会津(福島県会津若松市)に移封になると放置されましたが、新たに春日山城の城主になった堀秀治の要請で会津に移され鶴ヶ城内の御堂が造営され改葬されています。
明静院境内には謙信の五輪塔(天正6年:1578年建立)が建ち、その供具料として元和5年(1619)に高田藩(藩庁:高田城)の藩主松平忠昌が12石の寺領を寄進しています。
又、境内にあった岩屋は神話の時代、出雲国の大国主命と越国(高志)の酋長の娘である奴奈川姫(沼河比売)が結婚生活をし建御名方命(諏訪大神:信濃国一宮諏訪大社の祭神)が生まれたという伝説の場所で、3神(大国主命、奴奈川姫命、建御名方命)を祭神とし延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳で式内社として記載されている阿比多神社が鎮座していたと伝えられています。
社殿は往時、岩屋内に建立されていましたが宝暦元年(1751)の大地震で倒壊し、その後、岩屋の脇に再建されました。本尊の大日如来坐像は平安時代後期から鎌倉時代前期の作と推定される古仏で総高170p、像高117cm、台座53cm、カヤ材の一木造り、大変貴重な事から昭和25年(1950)に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されています。宗派:天台宗。本尊:大日如来(国指定重要文化財)。山号:岩殿山。
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