一宮河内神社(村上市)概要: 一宮河内神社は新潟県村上市宮ノ下に鎮座している神社です。一宮河内神社の創建は安元2年(1176)、当地の産土神として雲上佐市郎(頼仁親王:後白河天皇第三皇子 ※一般的には後白河天皇第三皇子は以仁王。頼仁親王は後鳥羽天皇の皇子)の御霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
雲上佐市郎は応保元年(1161)に当地に下向し領主となりましたが、遊興にふけり政務が滞った為、家臣達が図り殺害、祟りを恐れて御霊を祀ったそうです(悪行を見かねた朝廷が討伐軍を派遣し討ち取られたとも、その内7人の家臣は湊神社近くで討死し、その甲冑を奉納した事で境内がある山は七甲山と呼ばれるようになったと伝えられています)。
ただし、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている多伎神社の論社でもありその経緯は不詳です。雲上佐市郎を祭る神社は新潟県北部に集中し何らかの信仰の広がりがあったと思われます。
一宮河内神社は歴代領主からも崇敬され小泉庄地頭の本庄氏や鮎川氏が篤く信仰し、神官だった石栗家は本庄氏、渡部家は鮎川氏の家臣同様の扱いを受け、慶長3年(1598)に本庄氏の主家にあたる上杉景勝が会津黒川城(福島県会津若松市)に移封になると本庄氏と共に神官達も当地を離れ一宮河内神社も衰微し、信仰の中心が歴代村上藩主から崇敬を受けた西奈彌羽黒神社に移っています。
一宮河内神社は武神として戦勝祈願に御利益があるとして戦前戦中は数多くの参拝者が訪れ境内には三条市出身の陸軍大将鈴木壮六の書の社号標が建立されています。拝殿は入母屋、桟瓦葺、桁行3間、梁間3間、妻入、正面1間向拝付、向拝欄間には龍、木鼻には獅子、その上部には象の彫刻が施され数多くの絵馬が奉納されています。本殿は一間社流造、銅板葺。祭神:雲上佐市郎。
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一宮河内神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 越佐の神社 式内社六十三-株式会社 新潟日報事業社
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