村上市: 観音寺

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概要・歴史・観光・見所
観音寺(村上市)概要: 大悲山観音寺は新潟県村上市肴町に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。観音寺の創建は鎌倉時代の弘安5年(1282)と云われ、慶長5年(1600)に覚遍上人(寺伝では宗海上人)が中興開山しています。以来、村上藩(藩庁:村上市城)の祈願所となり元和4年(1618)には藩主となった堀直寄が堂宇を造営、寛文5年(1665)には同じく藩主である松平直矩公の病気が平癒した事への感謝から内殿を寄進、宝永3年(1706)の火災で堂宇が焼失した際は当時白河藩主となっていた直矩が再建に使用する木材を寄進しています。観音寺は村上城から見て北方の要であり北国街道(北陸道)の入口にもあたる為、村上城の防衛の面でも重要視していたことが判ります。

明治時代に入ると名僧として知られる仏海上人が観音寺の住職となり堂宇を改修しています。仏海上人は村上で生まれ出羽三山の湯殿山注連寺(山形県鶴岡市)や海向寺(山形県酒田市)で修行を重ね本明寺(山形県鶴岡市)、観世音寺の住職を務め、身分を問わず布教に努め祈祷料、御布施のほとんどを貧民救済にあてた人物です。明治36年(1903)に観音寺裏に入定塚を作り坐禅をしたまま即身仏になり昭和36年(1961)に発掘されました。仏海上人が入定した以降は即身仏になる事は法的に禁止されたので日本最期の即身仏とされています。

観音寺の山門は切妻、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門、外壁は真壁造板張り、両脇には仁王像が安置され、「大悲山」の山号額が掲げられています。本堂は二重切妻、桟瓦葺、平入、正面唐破風向拝付、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。境内には仏海上人の墓碑、振り袖地蔵(六部と名乗る修行僧が恐山で女の幽霊に会い、親の悪行で成仏出来ない事を告げられ、代わりに親を諌めて欲しいと懇願され方袖を渡されました。早速、幽霊の親にその話しをすると、親は改心し地蔵を観音寺に奉納したと伝えられています)、入定塚などがあります。山号:大悲山。宗派:高野山真言宗。本尊:千手観音菩薩。

観音寺:写真

観音寺境内正面に設けられた山門と石造寺号標
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観音寺山門から見た境内 観音寺山門に安置されている仁王像 観音寺境内に設けられた観音堂 観音寺境内から見た本堂左斜め前方


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