村上市: 耕雲寺

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概要・歴史・観光・見所

耕雲寺(村上市)概要: 霊樹山耕雲寺は新潟県村上市門前に境内を構えている曹洞宗の寺院です。耕雲寺(村上市)の本堂から見た境内耕雲寺の創建は応永元年(1394)、当時の小泉庄の領主本庄顕長が楠正成の孫(三男正儀の子、戦場での傷で戦働きが出来ず出家し滝沢寺で修行)とされる傑堂能勝禅師を招いて創立し自らの菩提寺にしたのが始まりと伝えられています。開山の梅山聞本禅師は滝沢寺(福井県)の住職で能勝の師に当たる人物とされ応永20年(1413)に耕雲寺を訪れ、1年後に滝沢寺に戻りましたが能勝はあくまで開山は聞本、自らは2世とし、寺号は本庄顕長で法名である「耕雲」から耕雲寺の寺号の由来となっています。

能勝は応永10年(1403)、神戸太良最重(嶽城主)に招かれ慈光寺五泉市)を開山するなど曹洞宗の布教に尽力しましたが応永34年(1427)に能勝が死去すると、顕窓慶字が3世に就任したものの民衆の支持が得られず、享元年(1429)には住民が耕雲寺の寺領を略奪する事件が発生します。

顕窓慶字雲洞庵南魚沼市雲洞)に移り、跡を継いだ南英謙宗が再興に尽力、文安3年(1446)には越後国守護職の上杉房朝が開基となり、南英謙宗を招いて種月寺新潟市)を開山しています。

耕雲寺は阿賀北衆と呼ばれた周辺国人領主が領内に菩提寺を持っていなかった時代の菩提寺として機能し文安元年(1444)には本庄房長が耕雲寺の境内に移春庵を造営し、一族の法要が度々行われるようになり、同じく鮎川氏や、色部氏一族も法要が耕雲寺で行われています。永享2年(1460)には越後国守護職の上杉房朝の裁定により寺領の半分が認められ一応再興、それでも尚、不安定な状況でしたが色部朝長が寺領を寄進するなど徐々に寺領の回復が行われました。

耕雲寺:ストリートビュー1

戦国時代に入り、国人領主達の領土経営が確立するようになると領内に菩提寺を創建する事が常となり、文明2年(1470)には5世徳嶽宗欽が竹俣氏の菩提寺「宝積寺」、永正6年(1509)には8世固剛宗厳が加地氏の菩提寺「香伝寺」、大永7年(1527)には8世固剛宗厳が鮎川氏の菩提寺「普済寺」、天文元年(1532)には10世大仲玄甫が色部氏の菩提寺「千眼寺」、天文9年(1540)には11世三心宗伊(開山者は師である大仲玄甫を勧請)が本庄氏の菩提寺「長楽寺」などを創建しています。

耕雲寺からは名僧、学識者など多くの人材を輩出、歴代領主(本庄氏、鮎川氏、上杉氏など)からも庇護されて寺運が栄え雲洞庵(南魚沼市)、種月寺(新潟市)、慈光寺(五泉市)と共に越後四ケ道場の一つに数えられ、その越後四ケ道場の中でも筆頭になるなど隆盛を極めました。最盛期には境内に七堂伽藍が整備され100名を超える僧侶が修行に励み、直末80ヵ寺、孫末367ヵ寺を数え、周辺の国人領主の多くが耕雲寺の住職を招いて菩提寺を創建していきました。

江戸時代に入ると幕府から10万石の格式を与えられ、歴代村上藩(藩庁:村上城)の藩主から150石の寺領が安堵されました。古くから隣接する熊野神社と神仏習合し耕雲寺が別当寺院を担い祭祀を司っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により寺院として独立しています。

明治19年(1886)に火災で堂宇が焼失して唯一残された元禄15年(1702)建築の鐘楼門(入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、上層部には花頭窓、高欄付、下層部には仁王像安置)が平成17年(2005)に村上市指定有形文化財に、耕雲寺寺宝である梅山聞本禅師遺戒状と霊樹山耕雲寺納所方田地之帳(永正6年に編纂された寺領の出納帳)は昭和47年(1972)に村上市指定文化財に、本堂背後の耕雲寺歴代住職の墓地にある「もみ(樹高33m、幹周3.94m)」は昭和54年(1979)に村上市指定天然記念物にそれぞれ指定されています。山号:霊樹山。宗派:曹洞宗。本尊:三尊仏。

耕雲寺:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-村上市教育員会
・ 現地案内板


耕雲寺:ストリートビュー2

耕雲寺:写真

耕雲寺の境内正面にある山門(楼門)
[ 付近地図: 新潟県村上市 ]・[ 村上市:歴史・観光・見所 ]
耕雲寺の山門から見た境内の様子 耕雲寺の本堂の全景 耕雲寺本堂の正面 耕雲寺を開山した傑堂能勝禅師が祭られている開山堂

耕雲寺:歴史的建造物

山門(楼門)山門(楼門)
・山門は江戸時代中期である元禄15年(1702)に造営されたもので、入母屋、銅板葺、元々は一間一戸、四脚鐘楼門を改修し、下層部に仁王像を安置出来るように増築し三間一戸風になっています。村上市指定有形文化財。
本堂本堂
・本堂は明治19年(1886)の火事で焼失した後に再建された建物で、木造平屋建、入母屋、銅板葺、平入、桁行8間、正面1間向拝付、外壁は真壁造(腰壁は下見板張、縦押縁押え)、白漆喰仕上げ、正面花頭窓付。内部には耕雲寺の本尊である三尊仏が安置されています。
開山堂開山堂
・開山堂は明治19年(1886)の火事で焼失した後に再建された建物で、木造平屋建、宝形造、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、正面花頭窓付、開山者である傑堂能勝禅師が祭られていると思われます。


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