新潟市: 船江太神宮

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概要・歴史・観光・見所
船江太神宮(新潟市)概要: 船江太神宮は新潟県新潟市中央区古町通一番町に鎮座している神社です。船江太神宮の創建は崇神天皇10年(240)、海上から見知らぬ船が漂着すると猿田彦大神の化身が出現し、当地の産土神として我を祀って欲しいと告げた姿を消したそうです。住民達は早速社殿を建立し猿田彦大神の分霊を勧請したのが始まりとされ地名も船を得た事から船得、それが転じて船江ななったと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された船江神社の論社で古くから当地の産土神(現在の産土神は白山神社)として信仰されてきました。船江神社の論社は複数あり新潟市中央区一番堀通町に鎮座する白山神社、新潟市赤塚に鎮座する神明社が式内社船江神社の由緒を持っています。神明宮の創建は不詳ですが戦国時代には上杉家により崇敬庇護され天正19年(1591)には上杉景勝の摂政である直江兼続が社領の寄進と兼続直筆の「高天ケ原」の扁額を奉納しています。

当初は寄居町付近に鎮座していましたが明暦年間(1655〜1658年)頃に現在地に遷座し、神明宮と社殿が並列するような配置となり元禄年間(1688〜1703年)頃から船江太神宮などと呼ばれるようになりました。安政5年(1858)に両社が合祀され社殿も1つにまとめられ現在に近い形になりました。文政6年(1823)に全国の社家を統轄する吉田家から船江神社の社号を安政5年(1858)には船江大神宮の社号を認められました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され村社に列し、明治5年(1872)には新潟総鎮守となっています。祭神は天照大神、豊受大神 猿田彦大神、大彦命。社宝である「新潟入船之図」(縦150cm、横85cm)は明治4年(1871)、神職で画家である行田魁庵(魁庵正隆)が描いたもので当時の新潟港の風景や北前船など様子が分かる貴重な歴史資料として昭和51年(1976)に新潟市指定文化財に指定されています。境内に建立されている芭蕉句碑(浮身塚)は安政4年(1857)に新潟の俳句会「柳々舎」が奉納したもので「海に降る 雨や恋しき うき身宿 」の句が刻まれています。

船江太神宮:写真

船江太神宮
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