旧中野家住宅(新潟市)概要: 中野家は江戸時代中期以降、金津村の庄屋を歴任し豪農として発展しました。文化元年(1804)、中野次郎左衛門の代に当時、「草生水油」と呼ばれた原油の採掘権を取得し「草生水油稼人」を称するようになり「泉舎」を掲げました。
明治時代に入ると、当時の当主中野貫一が石油試掘の許可を得て試掘を開始、何度も失敗を繰り返し29年後の明治36年(1903)に油田開発に成功し日本石油、宝田石油に次ぐ産油業者に成長すると「石油王」の異名を持ちました。
現在の建物(長屋門・裏門・板塀・土蔵・主屋)は明治33年(1900)から明治37年(1904)にかけて建てられたもので、新潟県内の近代和風建築の代表的存在で、当時は不況が続き失業者が多かった事から公共事業的な要素も強く、多くの労働力が費やされました。中野家ではその他にも教育施設や医療施設の充実や新田開発にも尽力し最盛期には小作人1565人、耕地556町歩、林野848町歩を擁しました。庭園も広大(約2.3ヘクタール)で完成までは49年の歳月がかけられ特に秋の紅葉は素晴らしいとされます。
現在は中野家から寄贈され中野邸記念館(旧中野邸美術館)として一般公開されています。又、周辺には当時の金津油田の採掘・精製施設が残され石油文化遺産施設として平成19年(2007)に「近代化産業遺産」に認定されています。
中野邸記念館:上空画像
長屋門を簡単に説明した動画
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