正福寺(新潟市)概要: 對獄山正福寺は新潟県新潟市中央区西堀通7番町に境内を構えている浄土真宗大谷派の寺院です。正福寺の創建は不詳ですが教念(親鸞聖人の直弟子)によって開かれたのが始まりと伝えられています。当初は常陸国那珂西郡中田村にありましたが、その後、信濃国高井郡井上小坂郷和田村、越後亀田村袋津、曽川村と移り慶長年間(1598〜1615年)に現在地に境内を移しています。明治2年(1869)には当時の新潟町検断である鈴木長蔵が施蘭薬院を開設、正福寺の本堂が開放され新潟県最初の西洋式医療が持ち込まれ施薬や種痘の治療などが行われました。資金難の為、1年程で廃止となりましたが西洋医療の重要性が認識され翌年には現在の共立病院が新潟町毘沙門島に開院されています。
一方、新潟港が国際港だった事から英語教育の充実が図られ、正福寺は明治4年(1871)に召喚されたイギリス出身の英語教師であるキングの宿舎として利用されています(キングは翌年賊に襲われ不詳した為辞任したとされます)。正福寺本堂は入母屋、桟瓦葺、塗屋造、白漆喰仕上げ、正面腰壁は海鼠壁、正面3間向拝付。
境内には昭和37年(1962)に建立された「施蘭薬院跡」の石碑の他、「松本潤志女」(江戸時代の歌人)の墓碑や「本間翠峰」(幕末から明治時代の画家、越後出身、多賀二峰、長谷川嵐渓に師事)の墓碑、「日野資徳」(明治時代の歌人、越後新潟の商家出身、浅見安景と小池内宏に師事、白山神社の神職、著書「新潟方言考」)の墓碑などがあります。山号:對獄山。宗派:浄土真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。
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