旧伊藤家住宅(新潟市)概要: 伊藤家、初代文吉は宝暦6年(1756)、安ヱ門家から一町二反九畝二十九歩(約13000u)が与えられ本百姓として独立し、農業の傍ら藍の生産にも関わり基礎を固めました。2代目文吉の代で豪農として名を馳せ天保8年(1837)には苗字帯刀を許され、伊藤姓を名乗っています。
明治時代以降に急速に地主として発展し明治4年(1871)に116町歩、明治8年(1875)に122町歩、明治23年(1890)に747町歩、明治30年代に千町歩、昭和初期には1市4郡64ヶ村に1370町歩(1370万u)となり文字通り新潟県最大の豪農、大地主となりました。太平洋戦争後、農地解放政策により多くの土地は開放されましたが、5代文吉が明治15年(1882)から明治22年(1889)にかけて建てたもので棟梁として斉藤金蔵が手懸けた当時の屋敷が略完全な形で残され現在は北方文化博物館として一般公開されています。
特に大広間は伊藤家の接客や冠婚葬祭など特別な行事に使用される為建てられた事から広大で格式がある造りになっていて、式台付きの大玄関から大広間(32畳)、中段の間(15畳)、上段の間(15畳)の3間が続き、南側の広縁と縁側、庭園(田中泰阿弥作庭)が一体となった豪農の館にふさわしい空間になっています。
意匠的にも多彩で、三楽亭と呼ばれる書斎兼茶室では平面を三角形で構成している為、茶室、書斎が三角形、座敷が菱形で柱、梁、建具の細部などもそれらの形状に合わせた細工が施されています。主屋・大広間・内土蔵・湯殿・銅門及び塀・新座敷・三楽亭・佐渡看亭・いはのや・積翠庵・是空軒・帳庫・土蔵門・門土蔵・井戸小屋・集古館・旧作業場・大工場・店蔵・味噌蔵・刈羽民家・吉ヶ平民家・常盤荘・大呂庵・東蔵・米蔵・塀が国登録有形文化財に登録されています。
旧伊藤家住宅の国登録有形文化財
・ 銅門及び塀-明治22年-銅門:間口2.1m、瓦棒銅板葺・門:延長20m
・ 味噌蔵-明治20年-木造平屋建、切妻、桟瓦葺、真壁造り、桁行28m
・ いはのや-昭和中期-木造平屋建、寄棟、桟瓦葺(軒先銅板葺)、建築面積8u
・ 積翠庵・是空軒-昭和25年-木造平屋建、寄棟、茅葺、茶室、建築面積41u
・ 佐度看亭-昭和中期-木造平屋建、数寄屋風の茶室、桟瓦葺、建築面積64u
・ 大広間-明治22年-木造平屋建、入母屋、桟瓦葺、大広間、中段の間、上段の間
・ 湯殿-明治22年-木造平屋建、寄棟、桟瓦葺、数奇屋風、建築面積35u
・ 東蔵-昭和中期-木造2階建、切妻、桟瓦葺、建築面積52u
・ 集古館-明治34年-木造2階建、切妻、置屋、桟瓦葺、白漆喰、腰壁海鼠壁
・ 土蔵-明治20年-木造2階建、切妻、桟瓦葺、外壁白漆喰、建築面積140u
・ 常盤荘-万延元年-木造平屋建、寄棟、桟瓦葺、建築面積150u
・ 店蔵-明治18年-木造平屋建、切妻、桟瓦葺、下見板張、建築面積228u
・ 吉ヶ平民家-江戸時代中期-木造平屋建、寄棟、茅葺、建築面積97u
・ 三楽亭-明治24年-菱形座敷、三角形茶室、三角形書斎、建築面積38u
・ 旧作業場-明治16年-木造平屋建、切妻、桟瓦葺、桁行18m、真壁造
・ 土蔵門-明治20年-木造2階建、寄棟、桟瓦葺、桁行24m、建築面積145u
・ 井戸小屋-明治18年-木造平屋建、切妻、桟瓦葺、建築面積30u
・ 主屋-明治20年-木造2階建、寄棟、桟瓦葺、建築面積636u
・ 新座敷-明治22年-木造2階建、寄棟、桟瓦葺、数奇屋風、建築面積108u
・ 大呂菴-昭和2年-木造2階建、寄棟、桟瓦葺、分家居宅、建築面積200u
・ 大工場-明治16年-木造平屋建、切妻、桟瓦葺、下見板張、建築面積140u
・ 米蔵-昭和初期-木造平屋建、切妻、桟瓦葺、真壁造、建築面積88u
・ 刈羽民家-江戸時代中期-木造平屋建、茅葺−建築面積70u
旧伊藤家住宅(豪農の館・北方文化博物館):上空画像
長屋門を簡単に説明した動画
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