燕喜館(新潟市)概要: 燕喜館は新潟県新潟市中央区一番堀通町に位置しています。燕喜館は明治40年代に3代目斎藤喜十郎の宅邸として建てられたものです。斎藤家は江戸時代にこの地に土着した豪商で、越前国三国(現在の福井県坂井市三国)出身の事から屋号として「三国屋(後に「山三」)」を掲げました。
当初は酒造業が主な生業でしたが、2代目になると廻船業に進出し、明治時代に入ると新潟商業銀行設立に尽力し海運業や新潟電燈会社なども設立し新潟の三大財閥に数えられました。燕喜館が建てられた当時は新潟市内中心部にありましたが老朽化なども伴い主に接客で利用し「燕喜館」と呼ばれていた部分を白山公園の一角に移築、活用することになりました。
燕喜館(旧斎藤喜十郎宅邸)の建物は木造平屋建、寄棟、桟瓦葺、建築面積241u、随所に銘木が使用され座敷の欄間や襖絵なども数寄屋風の粋が感じられ、近代和風建築の特徴が見られます。名称の由来は中国唐の時代に活躍した思想家「韓愈」によって編纂された「燕喜亭記」の「宴を催し、楽しみ喜ぶ」の一文が喜十郎にとって大変影響された事から本人自ら命名したと伝えられています。
燕喜館は明治時代に建てられた近代数寄屋建築の遺構として貴重で、「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成12年(2000)に国登録有形文化財に指定されています。
燕喜館:上空画像
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