普談寺(新潟市)概要: 大悲山普談寺は新潟県新潟市秋葉区朝日に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。普談寺の創建は不詳ですが古くから「朝日の観音さま」と呼ばれ信仰されてきました。
伝承によると札所本尊である木造十一面観世音菩薩座像(朝日観音)は聖徳太子が自ら彫り込んだと伝わるもので、当初は和泉(大阪)に出現しある武士が篤く祀っていましたが、ある時、霊夢に観音菩薩の化身が立ち、越後の方角にむかって像を投げて欲しいと告げました。武士は御告げに従い像を投げると、像は消え失せ同時に越後に出現しました。当時、越後では疫病が流行っていた事から住民達は観音堂を建立し像を安置すると不思議に疫病が沈静化し多くの病人も平癒したと伝えられています。
普談寺は歴代領主である本庄重長(村上城の城主)、新津勝資(新津城の城主)などから帰依され江戸時代に入ると沢海藩主溝口家の祈願所として寺領が寄進されています。承応2年(1653)、良快和尚により再興され延宝4年(1676) に山号を、普堕落山から大悲山に改めています。普談寺の寺宝である絵馬(2枚:新潟市指定文化財)は天正19年(1591)に狩野元信(室町幕府の御用絵師)によって描かれ春日山城の城主上杉謙信の家臣船山氏が寄進したもので、絵馬の馬が生きているように書かれた事で命が宿り度々額から飛び出し田畑を荒らした事から元信が手綱を書き足すと静かになったと伝えられています。
普談寺の境内の大スギは推定樹齢700年、樹高30m、幹周5.1m、平成5年(1993)に新潟市指定天然記念物に指定されています。普談寺山門は、入母屋、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、左右には個性的な仁王像が安置され信仰の対象となっています。観音堂は木造平屋建て、宝形造、桁行3間、張間3間(後方に1間分増築)、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、唐破風懸魚には波、向拝には龍と獅子の精緻な彫刻が施されています。
又、普談寺境内の一角に設けられている御堂には立体地獄図が表現されており異彩を放っています。越後三十三観音霊場第30番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:いのるから 今はのこらず みのつみを 朝日のさとの 箱にたとえて)。蒲原三十三観音霊場第9番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩)。越後八十八ヶ所霊場第41番札所(札所本尊:不動明王・御詠歌:祈るから 今は残らず身の罪を 旭のさとの 霜にたとへて)。山号:大悲山。宗派:真言宗智山派。本尊:不動明王。
普談寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-新潟市教育委員会
・ 越後八十八カ所霊場 遍路の旅-株式会社 新潟日報事業社
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