・牛屋館が何時頃築かれたのかは判りませんが、中世以降、当地を支配した牛屋氏の居館だったとされます。
色部氏は桓武平氏秩父氏の一族が幕府成立時の功績により越後国の一部を賜り、色部条に入部したその一派が地名に因み「色部」姓を掲げたとされます。
建永元年、又は建長6年に色部為長が嫡男の色部公長に色部条と粟島を、次男に色部資長に牛屋条を譲っています。
文永7年、又は建治2年に公長は牛屋条の東側を3男の色部氏長、西側を4男色部長茂に分知し、長茂は地名に因み「牛屋」姓を掲げ、牛屋家の祖となっています。
その後、牛屋氏は色部家の一族衆として重きを成したようで、「色部年中行事」には「御親類衆」として牛屋右近丞殿の名が記されています。
本家筋の色部家は戦国時代に上杉家に仕えていた事から、慶長3年に上杉景勝が春日山城から会津に移封になった際、随行した為、牛屋氏も従ったと見られ、牛屋館も廃されたと思われます。
牛屋館は一辺が50〜60m程の単郭の方形館で、周囲を土塁と堀で囲っていたと推定されています。往時は荒川の河跡湖が南東方向にあったとされ、残りの三方も湿地帯だったようです。現在は法徳寺の境内として利用されており背後には土塁跡と思われる土盛が残されています。
法徳寺は真言宗豊山派の寺院で、奉斎している観音様は牛屋村の守護神、豊穣の神として信仰されています。観音様の例祭である8月17・18日には獅子舞が奉納され厄除祓いが行われます。
獅子面が収蔵されている箱には享保3年に再興されたと記している事から少なくとも300年以上の歴史があると云われています。牛屋獅子舞は貴重な事から村上市の無形民俗文化財に指定されています。
境内には中世の板碑4基と湯殿山塔があり、中でも元享元年八月十三日の銘がある高さ145cmの「阿弥陀如来」と高さ110cmの「大勢至菩薩」2基は村上市指定文化財に指定されてます。
新潟県:城郭・再生リスト
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