五泉城

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五泉城:略データ
・場 所・新潟県五泉市宮町
・築城年・伝:永徳2年
・築城者・伝:長尾憲顕
・城 主・五泉数馬、銭駿河守、天野東山、中野玄正、矢代豊後守、甘粕景継
・構 造・平城
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・五泉城が何時頃築かれたのかは判りませんが、永徳2年に越後国守護職上杉家の被官で守護代を担っていた長尾憲顕が築いたとも云われ、五泉数馬が城主だったと伝えられています。

その後の詳細も不詳ですが、銭駿河守、天野東山、中野玄正、矢代豊後守等が城主だったとも云われています。

天正11年に上杉家の重臣だった甘粕景継が、反乱中の新発田重家に備える為に城主として配されています。

甘粕景継は上田長尾家譜代の家臣登坂加賀守清高の子供として生まれ、知略や武勇に優れ、上杉二十五将に数えられる等上杉謙信からの信任も篤く、天正5年には謙信の命により、名門の甘粕家の名跡を継ぎ、護摩堂城の城主に抜擢されています。

天正6年に謙信が死去すると、上杉景虎と上杉景勝との間で跡継ぎ争いである「御館の乱」が発生、景勝も上田長尾氏出身である事から景継は景勝に味方し功績を挙げています。

景勝の勝利で御館の乱は終結しましたが、景勝はその恩賞を上田衆には厚かったものの、一部の家臣には全く与えなかった事から新発田重家が反乱を起しています。

重家は武勇に優れていただけでなく人望もあり、周辺の大名とも連携する等、景勝も苦戦を強いられた為、重臣となった景継も戦略的要衝な五泉城に配したと思われます。

天正15年に新発田城が落城し、重家が自刃した事で乱は終結、景継は引き続き五泉城の城主だtったと推定されますが、文禄2年に庄内領の要衝である亀ヶ崎城(山形県酒田市)に遷されています。

その後の五泉城の詳細は判りませんが、慶長3年に景勝の会津移封に伴い、村上城に入った村上頼勝の管轄下に入り、慶安2年に一国一城令もあり廃城と破却されています。

その後、跡地には原慶3年に開創したと伝わる五泉八幡宮が遷座しています。現在、目立った遺構が失われている為、正確な城域やどの様な構造だったのかは判りませんが、五泉八幡宮の境内を主郭とした平城だったと推定され、周囲には「城廻り」や「馬場」等、城郭を連想される地名が残されています。

五泉城:付近地図
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