【 概 要 】−黒川藩柳沢家は5代将軍徳川綱吉の側用人として幕政に大きな権力を掌握した甲府藩主柳沢吉保の4男として生まれた経隆が祖となっています。宝永6年(1709)に甲府藩の新田開発により増加した1万石が与えられ甲府新田藩を立藩しましたが、長兄で甲府藩を引き継いだ吉里が享保9年(1724)に大和郡山藩に移封されると黒川領1万石に移され黒川藩を立藩しています。
石高が低く、歴代黒川柳沢家は定府大名として江戸詰めだった為、領内での実績が殆ど無く、幕政では2代藩主里済が大坂加番や日光祭礼奉行、4代藩主保卓が大番頭、6代藩主光被が大坂加番や日光祭礼奉行、7代藩主光昭が奏者番や学問所奉行などを歴任しています。光昭の代に始めて御国入りを果たし、藩庁が置かれた黒川陣屋内に藩校「弘道館」を開校させ人材育成に尽力しています。
戊辰戦争の際は隣接する会津藩や越後諸藩の関係から奥羽越列藩同盟に参加しています。基本的な菩提寺は東京都新宿区市ヶ谷河田町の正覚山月桂寺。領内菩提寺は黒川陣屋の陣屋町に境内を構える長谷寺(胎内市)ですが墓碑は無く、歴代藩主の位牌が安置され、山門には7代柳澤光昭揮毫の扁額が掲げられています。
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