榊原政令:概要

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概要・歴史・観光・見所
榊原政令(高田城)

【 概 要 】−榊原政令は安永5年(1776)に高田藩2代藩主榊原政敦と象の方との子供として生まれました。文化7年(1810)に政敦が隠居した事に伴い榊原家の家督を継ぎ、高田藩3代藩主に就任しています。榊原政令は山本北山や太田綿城などに師事し、家臣にも学問を推奨した事から高田藩からは中島嘉春や大久保鷲山等の儒学者を輩出しています。文化6年(1809)から文化8年(1811)にかけては惣年寄である塚田五郎右衛門に命じて稲荷中江用水の開削が行われ、工事が完遂すると五郎右衛門には扶持米が与えられ、鎮守社として河波良稲荷神社(新潟県上越市仲町2丁目)が創建されています(これにより69町6反の新田が開発されています)。

文化6年(1809)に犀浜が高田藩領になると当地で防風林、防砂林の植林に尽力した藤野条助の事業を継続しています。文化14年(1817)には笹ヶ峰高原の開拓を行い木地師が入植、ここでの水田はうまく行かなかった事から畑作が中心となったようです。天保年間(1831〜1845年)には高橋孫左エ門に許可を出し蓮華山鉱山の開発を行いましたが山間僻地で気象条件も悪かった事から長続きはしなかったようです。下級武士への内職も勧め、結果的に曲物、竹籠、凧、盆提灯などが高田藩の特産品になるまでに発展しました。

赤倉温泉の開発に尽力し、文化11年(1814)に中嶋源八が中心となり役人である松本斧次郎に温泉場を開きたいとの願いを出すと、当時の妙高山は関山神社(新潟県妙高市)の別当寺院である宝蔵院が支配していた関係で、源泉の買い入れ金として800両と関の湯の迷惑料として300両を宝蔵院に支払う事を条件に文化12年(1815)に許可を出しています。文化13年(1816)から工事が開始、湯元から45町(約4.9キロ)温泉場(赤倉温泉)まで引き湯され、共同温泉が2カ所設置、文化14年(1817)に高田城の城下に居する豪商から温泉宿建設を請け負わせ現在で言う第三セクター的な事業となっています。

政令の3男である榊原政賢は文政10年(1827)に常陸谷田部藩嫡子である細川興祥の養子となりましたが天保2年(1831)に廃嫡となり、高田藩に戻っています(明治元年:1868年に死去すると榊原家領内菩提寺である林泉寺に埋葬され墓碑が建立されています)。文政10年(1827)隠居、文久元年(1861)死去、享年86歳、榊神社(新潟県上越市)に祭神として祭られています。

高田城:写真
榊原政令と縁がある高田城 榊原政令と縁がある高田城 榊原政令と縁がある高田城 榊原政令と縁がある高田城
林泉寺:写真
榊原政令と縁がある林泉寺参道から見た山門(楼門) 榊原政令と縁がある林泉寺山門(楼門)から見た境内 榊原政令と縁がある林泉寺本堂正面と石燈篭 榊原政令と縁がある林泉寺
榊神社:写真
榊原政令と縁がある榊神社 榊原政令と縁がある榊神社 榊原政令と縁がある榊神社 榊原政令と縁がある榊神社



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