溝口直温:概要

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概要・歴史・観光・見所
溝口直温(青海神社)

【 概 要 】−溝口直温は享保元年(1716)に溝口直道と高木宇左衛門の娘との子供として生まれました。享保17年(1732)に新発田藩6代藩主溝口直治が危篤に陥ると嗣子が居なかった為、2代藩主溝口宣勝の4世後裔である直温が末期養子となり、直治の死去に伴い7代藩主に就任し、同年に8代将軍徳川吉宗に御目見し従五位下出雲守に叙任しています。

新発田藩は度々大洪水に見舞われた事から財政難が慢性化し、それを打開するため新田開発を積極的に行い、直温も多くの工事を手掛けています。寛延元年(1748)には神明宮を現在地(新潟県新発田市大手町)に遷宮し領内の豊作と安全祈願しています。享保10年(1725)には居城である新発田城も大きな被害を受けており、直温の代には寛保2年(1742)には三の丸大手櫓が再建、寛保3年(1743)には二の丸大手中の門脇櫓が再建、延享2年(1745)には二の丸隅櫓が移築・再建されています。

溝口直温は社寺の保護も多く、寛延2年(1749)には沼垂蔵所の守護神である高砂稲荷神社(新潟県新潟市)に米蔵の夜間守護を祈願して黄金仏を寄進しています。宝暦6年(1756)には城下の総鎮守である諏訪神社の社殿が造営し近年まで残されていましたが平成13年(2000)放火により焼失しています。宝暦7年(1757)には青海神社(新潟県加茂市)の社殿を造営、境内を整備した際には菅原氏倉持宗吉が奉納した銅製経筒と銅製壺が出土し名称「青海神社境内経塚出土品」新潟県指定文化財、国の重要美術品に指定されています(直温が造営した鶯張廊下は現存し加茂市指定文化財に指定されています)。

特に直温は聖籠山宝積院観音寺(新潟県聖籠町)を篤く帰依し自ら製作した宝剣、自ら描いた大元帥、大日如来、青不動、天神の図、鶴の図、自らが筆した五部秘経、観世音縁起、五部秘経を納める為に制作された宝篋印塔などが奉納されており、その多くが文化財指定を受けています(詳細は判りませんが観音堂と二王門が宝暦6年:1756年に再建されている事から直温が寄進したのかも知れません)。

溝口直温は画家としても才能を発揮し新発田城の城下に境内を構えている託明寺には溝口直温公筆溝口勝政公肖像画が残され新発田市指定有形文化財に指定されています。元文2年(1737)に自ら描いた大凧を村人に寄贈し、村人がその大凧を大空に揚げたところ強風により隣村の家屋に落下、それに怒った隣村の住民は同じような大凧を揚げこちらの村に悪さをするようになった事が白根大凧合戦の起源とも云われています。溝口家の菩提寺である宝光寺には直温筆の涅槃図(幅約3.5m、長さ約5.7m)が残され彼岸の日には本堂に掲げられています。蒲原神社(新潟県新潟市)の本殿は直温筆「青海社」の社号額が掲げられています。宝暦11年(1761)に嫡男である溝口直養に家督を譲り隠居。安永9年(1780)死去、享年65歳。

新発田城:写真
溝口直温と縁がある新発田城 溝口直温と縁がある新発田城 溝口直温と縁がある新発田城 溝口直温と縁がある新発田城
宝光寺:写真
溝口直温と縁がある宝光寺 溝口直温と縁がある宝光寺 溝口直温と縁がある宝光寺 溝口直温と縁がある宝光寺
諏訪神社:写真
溝口直温と縁がある諏訪神社 溝口直温と縁がある諏訪神社 溝口直温と縁がある諏訪神社 溝口直温と縁がある諏訪神社
聖籠山宝積院観音寺:写真
溝口直温と縁がある宝積院境内に向かう苔生した石段 溝口直温と縁がある宝積院観音堂を正面から撮影した画像 溝口直温と縁がある宝積院観音堂(本堂)を左斜めから写した写真 溝口直温と縁がある宝積院観音堂の向拝の近接画像
青海神社:写真
溝口直温と縁がある青海神社 溝口直温と縁がある青海神社 溝口直温と縁がある青海神社 溝口直温と縁がある青海神社



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