村上頼勝・忠勝

  新潟県:歴史・観光・見所(ホーム)>村上頼勝と忠勝が帰依した乙宝寺(三重塔)
【 菩提者 】 村上頼勝(義明)の出生は判りませんが(信濃の国人領主村上義清の子供国清の弟、又は義弟説、村上水軍として知られた伊予村上氏一族説など)、当初は織田家の重臣だった丹羽長秀に仕え(200石程度)、天正7年(1579)には小松城(石川県小松市)の城主に就任し2万石、有力家臣に取り立てられています。天正13年(1585)に長秀が死去すると丹羽家の石高が123万石から15万石に減封された為、その事を受けて豊臣秀吉の直臣となり加賀国能美郡6万5千石が与えられ、引き続き小松城の城主を担いました。その後、堀秀政、堀秀治の与力大名となり、慶長3年(1598)に上杉景勝が春日山城(新潟県上越市)から会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封になった事を受けて、堀秀治が春日山城に入り、頼勝は本庄城9万石で入封します。頼勝は自らの姓に因み地名を本庄から村上に改称、村上城を近代城郭へと大改修が行われ、現在の村上市の町並みに繋がる町割を新たに行っています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは積極的な行動は採らなかったものの、西軍に与した上杉景勝が画策した上杉遺民一揆の掃討に尽力した事で自領が安堵され村上藩を立藩しています。江戸時代の頼勝の実績としては江戸城(東京都千代田区)や高田城(新潟県上越市)の普請事業に携わっています。元和元年(1616)に頼勝が死去すると娘(又は妹)婿で頼勝の養子となっていた村上忠勝(戸田内記の子供)が跡を継ぎ村上藩2代藩主に就任しています。忠勝は頼勝が行った村上城の改修工事や城下町の建設、乙宝寺三重塔の造営、領内整備などを引き継ぎ大坂の陣では高田藩主松平忠輝(徳川家康6男)に従い参陣しましたが元和4年(1618)に御家騒動により改易となり、丹波国篠山藩松平康重に預けられ捨扶持300石が与えられています。

村上頼勝は口伝によると耕雲寺(新潟県村上市)に葬られ墓碑が建立されたとされますが詳細は不詳。村上頼勝、忠勝共に乙宝寺(新潟県胎内市乙)に篤く帰依し、慶長19年(1614)には頼勝(義明)が願主となり乙宝寺三重塔(国指定文化財)が起工(竣工は元和6年:1620年、忠勝は改易となり三重搭の完成を見ていないと思われます)、元和3年(1617)には寺領100石が寄進されています。乙宝寺の寺宝として村上家が利用した駕篭を所有し、境内にある観音堂の脇には村上家の墓碑(五輪塔)が建立されています(個人的な見解として頼勝の菩提を弔う為に忠勝が乙宝寺に寺領の寄進や境内の整備が行ったと思われます)。又、忠勝の配流先である丹波国篠山藩領内には忠勝の供養塔が建立され、近くの法昌寺の本堂に位牌が安置されています。

乙宝寺は寺伝によると奈良時代の天平8年(736)聖武天皇の勅願で行基菩薩(奈良時代の高僧)、婆羅門僧正(インド出身の高僧)が開山したという。その際、行基菩薩は自ら彫刻した3躯(木造大日如来坐像、木造阿弥陀如来坐像、木造薬師如来坐像:国宝に指定されていたものの、火災により焼失)の本尊を安置し、婆羅門僧正はインドから日本に持ち込んだ、釈迦の右目を収めた事から当寺を「乙寺」、日本に渡来する以前に滞在していた中国(唐)の寺院に釈迦の左眼を収めた事から「甲寺」と名付けたそうです。真偽の程は判りませんが、大化4年(648)、現在の新潟県村上市岩船周辺に朝廷が北方に版図を広げた際に古代の城柵である磐舟柵を設けていた事から乙宝寺は国分寺に準じる存在だったとも考えられます。磐舟柵が何時頃排されたのは不詳ですが、その後も乙宝寺は当地域の支配層からは庇護の対象になっていたようで、明確なものとしては、平安時代後期から鎌倉時代初期まで、越後国北部を支配した城氏が乙宝寺を篤く庇護しています(城氏はその他に華報寺法音寺も篤く庇護しています)。城氏は平家出身という事もあり、鎌倉幕府から排除の対象となり、その後に配された地頭、戦国時代には国人領主や越後守護(上杉氏)などが庇護したようです。関東管領上杉家の名跡を継いだ上杉謙信は越後国北部の支配を確立する為、北部の寺院としては、乙宝寺の他、国上寺(新潟県燕市)、五智院(新潟県小千谷市)の3カ寺に10万石の格式を与え篤く保護し、特別視していた事が窺えます。

【 寺  号 】 乙宝寺
【 所在地 】 新潟県胎内市乙
【 創建年 】 天平8年(736)
【 開  基 】
【 開  山 】 行基菩薩、婆羅門僧正
【 山  号 】 如意山
【 宗  派 】 真言宗智山派
【 本  尊 】 金剛界大日如来
【 備  考 】 越後三十三観音霊場第26番札所。村上家墓碑。乙宝寺三重塔(村上頼勝(義明)が願主)
新潟県大名菩提寺
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