長岡市: 楽山苑

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概要・歴史・観光・見所

楽山苑(長岡市)概要: 楽山苑の中にある楽山亭は越後の豪商と呼ばれた大坂屋の別荘として建てられました。大坂屋である三輪家は旧郷士で大坂屋で奉公した後、与板に暖簾分され、信濃川舟運を利用し米、塩、海産物、反物、薬、書籍等、様々な物資を取引し大きく繁栄し越後屈指の豪商となりました。

楽山亭は明治25年(1892)三輪家11代当主、三輪潤太郎により建てられた建物で内部は座敷(8畳)、茶室(6畳)、茶室(3.3畳)があり素材も廻船で使われていた船板を利用すなど数奇屋風の思想が感じられます。楽山亭は明治時代に建てられた数寄屋建築の遺構として貴重なことから昭和47年(1972)、長岡市指定有形文化財に指定されています。

しかし、道路や鉄道などの近代交通網が整備されると信濃川舟運が衰退し、それに伴い大坂屋も大きく傾き明治37年(1904)に倒産、楽山苑も他家に売却されました。その後、北海道で丸三越後屋呉服店(現在の丸三鶴屋)を創業した両角栄治氏の所有となり、両角家から旧与板町(現在の長岡市)に寄贈され、改めて楽山苑として整備されました。

楽山苑の敷地内には積翠菴(茶室3畳:元々当地に移築された茶人松村宗悦設計の積翠菴は新潟市にある「北方博物館」に再移築され、楽山苑には同建物を復元したものが建てられています)や観音堂(新羅王朝期作、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際持ち帰ったと伝わる十一面観音像、木造、像高160cmが安置、明治24年:1891年、三輪潤太郎が購入、平成5年:1993年に長岡市指定文化財に指定)、良寛の歌碑などがあります。

楽山苑:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 石碑


楽山苑:ストリートビュー

楽山苑:写真

楽山苑
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