瑞雲寺(長岡市)概要: 瑞雲寺の創建は文治3年(1187)に源義経の乳母で義経腹心の佐藤継信、忠信兄弟の母 乙和御前がこの地に羽黒大権現を勧請したのが始まりと伝わっています。佐藤氏は現在の福島市飯坂町にある大鳥城主で平泉(岩手県平泉町)を本拠とする奥州藤原氏の下で威勢を振るい奥州合戦でも城が戦場となり源頼朝軍と戦いました。
息子である継信、忠信は義経に仕え、継信は屋島の合戦で義経をかばって戦死、忠信は、義経が京都を脱出する際、身代わりになって敵を引き付け義経を逃がし討ち死にしました。乙和御前は息子を弔う為に出家して妙照尼となると、霊夢で"出羽三山(山形県鶴岡市)にある羽黒大権現を越後の霊場で祀りなさい。"との御告げがあり現在地(小貫)に羽黒神社を開いたとされます。
その後、江戸時代初期の寛永年間(1624〜1643年)に肝煎の外山家が開基となり再興し瑞雲庵から瑞雲寺に改称し羽黒神社の別当寺となりました。戊辰戦争の際には米沢藩士の宿営地となり、長岡城奪還を試みる前日、板戸に遺書を残しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により羽黒神社とは分離し、羽黒神社の本地仏である十一面観音像や鰐口が瑞雲寺に遷されています。
現在の瑞雲寺本堂は再興時建てられたもので、入母屋、銅板葺、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、当時の禅宗の建築様式を伝える貴重なものとされ、参道には多くの石仏が安置され古寺の雰囲気が感じられます。寺宝が多く黄檗宗開祖隠元禅師筆「釈迦像画賛」が長岡市指定文化財に指定されています。宗派:曹洞宗。本尊:十一面観音菩薩。
瑞雲寺:上空画像
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