都野神社(長岡市)概要: 都野神社は新潟県長岡市与板町与板に鎮座している神社です。都野神社の創建は不詳ですが延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載される式内社古志郡六座の一座都野神社の論社で古くから与板の総鎮守として広く信仰されてきました。
与板の地は古くから信濃川舟運、交通の要所とされていた場所で、祭神である宗像三女神(多紀理姫命、市杵島姫命、多紀津姫命)は海上交通の守護神だった事から勧請されたと考えられ、当初の鎮座地である背後の山頂は船から目立つ存在だった為、灯明が灯台や目印に利用されていました(山頂付近には巨石も多く古代の自然崇拝が初源?)。貞治年間(1362〜1367年)に山頂から中腹である字八幡平に遷座し直江山城守兼続が与板城を築いた際、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の分霊(応神天皇、神功皇后)を勧請したことで「津ノ明神」「八幡宮」などと呼ばれるようになりました。
江戸時代初期の寛永年間(1624〜1643年)、与板藩初代藩主牧野康成により現在地に遷座し、以後、都野神社、豊幡飯成、井伊神社は与板の三大神社として歴代藩主の崇敬社として庇護されます。天保7年(1836)の大火で社殿が焼失した際は8代藩主井伊直経がその再建にあたり大坂屋などの有力商人なども尽力しています。
古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され旧社号に復し、明治6年(1873)に村社、大正7年(1918)に郷社に列しています。
都野神社の現在の社殿は天保7年(1836)の火災で焼失後に再建されたもので本殿(三間社流造、正面千鳥破風、唐破風向拝)は天保11年(1840)、拝殿(入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行6間、正面唐破風向拝付)、幣殿は嘉永元年(1848)にそれぞれ造営され特に彫刻は熊谷宿小林斎源太郎がそれにあたり3年の年月をかけたといいます。
都野神社社殿(八幡宮御本社彫物仕用)は江戸時代後期の社殿建築の遺構で彫刻などの意匠が優れていることから昭和47年(1972)に長岡市指定有形文化財に指定されています。祭神は田心姫神、湍津姫神、市杵嶋姫。配神は誉田別尊、息長足姫命。
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都野神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-都野神社
・ 現地案内板(都野神社本殿彫刻)-与板町教育委員会
・ 越佐の神社 式内社六十三-株式会社 新潟日報事業社
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