長岡市: 妙徳寺

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概要・歴史・観光・見所
妙徳寺(長岡市)概要: 妙徳寺の創建は和銅2年(709)、泰澄大師が米山を開き上山に登ろうとした際、妙徳寺当地から紫雲がたなびいていたのを発見し霊地と悟り自ら彫り込んだ文殊菩薩尊像を安置したのが始まりと伝えられています。又、脇本尊の薬師如来像は行基菩薩が彫り込んだと伝わるもので大同2年(807)、当時の住職賢宥が中風を煩い祈願すると平癒した事から中風に御利益があるとして信仰を広めました。寺勢は興隆し最盛期には塔中十二坊を擁していましたが次第に衰え治暦年間(1065〜1069年)に山城国の小野源仁和尚が中興しています。又、西行法師も妙徳寺に訪れ" 波たかき 世をこぎこぎて 人はみな 船岡山を とまりとぞする "の和歌を観音堂に奉納したとの伝承も残っています。戊辰戦争の兵火で堂宇が焼失、現在の本堂は大正7年(1918)に再建されたもので入母屋、桟瓦葺、妻入、桁行6間、正面1間向拝付き。妙徳寺又、境内には良寛の数少ないの法弟といわれる遍澄の墓(「延寿院観宏遍澄法師」)があり歴史的にも貴重なことから昭和52年(1977)に長岡市指定史跡に指定されています。遍澄は旧和島村島崎出身で幼少の頃から妙徳寺で修行し鍛冶屋良寛(錠前鍛冶の元締早川甚五エ門の長男で博学だった為)の異名を取り15歳で五合庵にいた良寛に師事し法弟になりました。後年、年老いた良寛を島崎村の富豪・木村元右衛門宅に招き貞心尼と共に看病し天保2年(1831)良寛が息を引き取る際も立ち会っています。その後は願王閣の閣主や「良寛道人遺稿」の編纂、至誠庵で多くの師弟達の教育に尽力するなど精力的に行動し眼病を患うと再び妙徳寺に戻って勤行生活を送りました。宗派:真言宗豊山派。越後薬師霊場第8番札所(札所本尊:薬師如来)。

妙徳寺:写真

妙徳寺
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