長岡市: 徳昌寺

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概要・歴史・観光・見所
徳昌寺(長岡市)概要: 徳昌寺の創建は文明11年(1479)に直江兼続の徳昌寺(長岡市)義曽祖父(直江秀綱・戒名:昌山一徳居士)にあたる人物が開基となり耕陰道夫和尚が開山したと伝えられています。直江家の菩提寺として庇護され寺運が隆盛し、慶長3年(1598)に兼続の米沢移封に伴って米沢に随行しました。兼続に世継ぎがいなかった事で元和5年(1619)に兼続、寛永14年(1637)に船(兼続の正室)が亡くなると直江家は断絶し庇護者を失い廃寺となっています。諸説ありますが船(兼続の正室)が死去すると後ろ盾が無くなった徳昌寺は衰微し、さらに直江派とも言える与板出身の家臣達が政争で破れ一蹴されると益々顕著になりました。その頃、反直江派が主導する林泉寺では寺院統制で徳昌寺を配下にする事を画策、庇護者のいない徳昌寺は敢え無く敗れ廃寺へと追い込まれ、米沢から追われた僧侶達が与板で改めて再興したとも云われています。そのような経緯から兼続夫妻の墓碑と遺骨は林泉寺へ移され法要が行われない、戒名が院殿で無いなど冷遇され続けられました(9代藩主上杉鷹山の時代に復権)。兼続を慕う人々は平林正恒などを頼り兼続の母の実家尾崎家の菩提寺である東源寺を招き兼続夫妻と嫡男景明の位牌が安置し法要が続けられたそうです。

与板の徳昌寺には米沢から持ち帰ったとされる位牌が安置されているから兼続の位牌は3箇所にある事になります。徳昌寺(長岡市)徳昌寺は元禄15年(1702)に現在地に移ると歴代藩主である牧野家、井伊家の庇護となり、さらに豪商大坂屋三輪家が檀家になった事で隆盛し、文政11年(1828)には有栖川宮家の祈願所にもなり広く信仰されます。現在の本堂(入母屋、銅板葺、平入、正面唐破風向拝付)は天保7年(1836)の火災後の嘉永6年(1853)に再建されたもので大坂屋三輪家の寄進が大きかったとされます。又、良寛縁の寺院としても知られ、父親の実家が与板だった事から度々与板を訪れ、三輪家や維馨尼などと交流を重ねました。本堂内部には直江親綱・景綱・信綱・兼続の位牌が安置され、境内からは数多くの縄文時代の土器や石器が発見され「徳昌寺遺跡」として長岡市指定史跡に、出土品の中の縄文式土器(火焔型土器)が長岡市指定文化財に指定されています。宗派:曹洞宗。本尊:十一面観音像。

徳昌寺:写真

徳昌寺
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