三条市(歴史)概要: 伝承によると平安時代三条市周辺は三条左衛門が支配していましたが安倍貞任(俘囚長)軍の生き残りとされる黒鳥兵衛によって打ち破られたと伝わっています。黒鳥兵衛は所謂伝記物に登場する人物で史実かどうかは確認の術がありませんが、妖術などを使い越後の北部一帯を支配しますが源義綱によって討ち取られたとされます。
中世に入ると山吉氏が領主となり三条城の築城や青蓮華寺(本成寺)の造営など領国経営を行い独立性を維持し、室町時代に入ると越後守護代の長尾氏に従属するようになり越後国守護職の上杉氏方の国人領主達と度々戦闘状態となりました。上杉謙信の代になると山吉氏は家臣として確固たる地位を固めますが天正5年(1577)に山吉豊守が死去すると嫡子がなく弟の景長が継いだ為、領地が半減され木場城に移されました。
その後、三条には神余親綱が入りましたが"御館の乱"で上杉景虎に与した事で三条城は落城、親綱は自刃し、甘粕長重が領主となります。
上杉景勝が会津若松(福島県会津若松市)に移封すると三条城には堀直政が5万石で入り、直清の代に御家騒動の為、慶長15年(1610)に改易、その後も松平重勝や市橋長勝、稲垣重綱などが藩主になりますが、いずれも短期間で移封となり、元和9年(1623)に廃藩となり以後は天領となります。
三条は城下町としての発展はなくなりましたが信濃川舟運が盛んになると物資の集積場となり多くの商家が軒を連ねると同時に鍛冶屋を中心とした工業も発達し鍛冶町も形成され商業都市として発展し現在の三条市の基礎が固まりました。
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